5月28日、新潟県三条市への出張を終えた私は、上越新幹線の車窓から広がる田園風景を眺めていた。新潟の田園風景は、いつ見ても心が洗われる。しかし、この日ばかりは違った。三条で味わったカレーラーメンの記憶と、車内で目にしたあるニュースが、私の胸に複雑な思いを残していたからだ。新幹線の座席で開いたスマートフォンに映し出されたのは、「亀田製菓、『柿の種』など値上げへ」の文字。新潟県に本社を置く亀田製菓が、看板商品の「柿の種」など米菓28品を7月1日納品分から順次値上げすると発表したのだ。店頭想定価格は4~23%程度上がる見通し。理由は「コメをはじめとする原材料価格と物流費の高騰」だった。70年の歴史が語る物語三条市のある食堂で、私はその土地のソウルフード「カレーラーメン」と向き合っていた。一口すすったその味は、たしかに長い歴史を感じさせる力強さがあった。醤油ベースのスープにカレーが溶け込んだその風味は、この地で70年以上にわたって愛され続けてきた理由を物語っていた。後で調べてみると、三条市は古くから金物のまちとして栄え、鍛冶職人たちは昼食を食べる時間もないほど多忙だった。そんな職人たちの活力源として出前が多かったのがカレーラーメンだったのだ。三条市が日本のカレーラーメン発祥の地とされる所以がここにある。起源については諸説あるが、三条市のラーメン店店主が戦前、東京の修業先から持ち帰ったのが始まりという説が有力だ。店のテレビでは、折しも政府備蓄米の随意契約による放出のニュースが流れていた。私は箸を止めて画面を見つめた。「令和の米騒動」の現実カレーラーメンを味わいながら見たそのニュースは、まさに現在進行形で起きている「令和の米騒動」の核心を伝えていた。2024年12月時点で、「コシヒカリ5kg」の店頭小売価格(東京都区部)は4,018円。前年同月の2,422円と比較すると、実に1.68倍という驚異的な高騰だった。2024年産の新米が出荷されても、価格は高止まりしたままだった。そして今、政府は切り札を切った。5月26日、農林水産省が発表した随意契約による政府備蓄米の放出だ。これまでの競争入札方式から一転、国が直接価格を決める随意契約方式に変更。対象は年間のコメ取扱量が1万トン以上の大手小売業者に限定し、玄米60キログラムあたり1万700円(税抜き)で売り渡すという。これは前回の入札方式の平均落札価格2万302円から実に47%もの大幅値下げを意味していた。石破茂首相は「5キロ2000円程度での店頭販売の実現可能性は極めて高い」と述べた。新潟が教えてくれること新潟県は令和5年産の水稲収穫量約59万1,700トンで、全国第1位を誇る日本有数の米どころだ。農業産出額においても米が約1,501億円で全体の60%を占める、まさに日本の米の中心地である。しかし、そんな米どころの新潟でさえも、この騒動の影響を受けている。地元企業である亀田製菓の値上げが、それを物語っていた。柿の種という、新潟の米から生まれた国民的なお菓子でさえも、原材料費高騰の波から逃れることはできなかったのだ。三条の食堂で、私はこう尋ねてみたかった。「この米騒動をどう思われますか?」きっとその答えは明確だろう。米は日本人の魂であり、値段が上がるのは困るけれど、作っている農家さんのことを思うと複雑な気持ちになる。それでも、カレーラーメンはこれからもつくり続けられていくはずだ。職人さんたちがそうだったように、働く人を支える料理として。政府の対応と私たちの役割政府の随意契約による備蓄米放出は、緊急時における迅速な対応として評価したい。小泉進次郎農相が「備蓄米はいざというときのためにある。今こそいざというときだ」と語ったその言葉からは、現状への強い危機感と国民への責任感が伝わってくる。実際、5月27日時点で19社から合計9万824トンの申請があり、その後も申請は急増。イオンやドン・キホーテ、イトーヨーカドーなど大手小売業者が迅速に対応し、農水省も「早ければ29日にも備蓄米の引き渡しを行い、6月第1週には店頭に並ぶ」と発表した。このスピード感は評価に値する。しかし、年間1万トン以上という条件により、大手小売業者のみが対象となったことで、中小のスーパーには恩恵が届きにくいという現実もある。この状況を見て、私たち民間企業にできることは何だろうか。三条カレーラーメンが教える持続可能性三条で味わったカレーラーメンを思い出しながら、私は考えていた。この料理が70年以上愛され続けてきた理由は何だろうか。それは、地域の産業と文化が密接に結びついているからではないだろうか。忙しい鍛冶職人たちのニーズに応え、地元の食材を活用し、世代を超えて受け継がれてきた。メニューとして提供している店舗が70店を超え、三条はまさに「カレーラーメン王国」と呼ばれている。スープ全体がカレーになっているタイプとラーメンにカレーをのせたタイプがあり、最近ではつけ麺風なども登場しているという。そこには持続可能性の本質がある。現在の「令和の米騒動」を前に、私たち企業人に求められているのは何だろうか。供給面では長年の減反政策の影響、気候変動、農業従事者の高齢化。需要面では人口減少とインバウンド需要の急増。そして流通面では様々な要因が複雑に絡み合っている。これらの課題に対し、政府の備蓄米放出は緊急時対応として重要な役割を果たしている。しかし、私たち民間企業としても、できることがあるはずだ。地域の農業を支援すること、持続可能な調達を心がけること、そして長期的な視点で一次産業との関係を築いていくこと。私たちにできることはなにか新潟の田園風景を眺めながら、私は改めて感じていた。農業、漁業などの一次産業は、まさに日本の基礎であり、世界に誇れる日本人のアイデンティティそのものだということを。三条市で味わったカレーラーメンの記憶が蘇る。「新潟5大ラーメン」のうちの一つとして、最近ようやく全国的にも知られるようになってきたこの料理。米は単なる食料ではない。日本の文化、伝統、そして人々の営みそのものなのだ。しかし、現実は厳しい。2025年いっぱいは米価の高値が続く可能性が高く、農水省の予測でも今季の作付面積はそれほど増えておらず、気象リスクも依然として高い状況だ。価格が落ち着き始めるのは早くても2026年以降になると見られている。三条を後にしながら、心を新たにしたこと。三条市内でカレーラーメンを提供するお店の団体「カレーラーメン部会」によると、カレーラーメンの定義は「カレー味のラーメン」とシンプルだという。しかし、その背景には深い歴史と地域への愛情がある。2004年の「7.13水害」からの復興を目的に、カレーラーメンを内外にPRする動きが活性化し、その後ご当地グルメとして名を広め、5大ラーメンの一つといわれるようになったのだ。カレーラーメンのように、地域に根ざした文化と産業を大切にし、それを支える一次産業に感謝の気持ちを持ち続けること。企業としても、地域の産品を積極的に選択し、地域経済を支えること。そして、短期的な利益だけでなく、長期的な持続可能性を常に念頭に置いて経営に当たること。随意契約による備蓄米放出が、イオンやドン・キホーテなど70社、20万トン超という規模で実現したことは、官民連携の一つの形として評価したい。しかし、私たち一人ひとりができることは、もっと身近なところにもある。私たち一人ひとりが、三条の職人たちがカレーラーメンに込めた思いのように、この国の豊かさを次世代に繋いでいく責任がある。それは三条市のカレーラーメンが教えてくれることでもある。70年以上の歴史を持ち、北海道や千葉県、青森県にもご当地のカレーラーメンが根づいているが、その歴史は三条市がもっとも古く、日本のカレーラーメン発祥の地であることは間違いないのだ。令和の米騒動は、私たちに多くのことを教えてくれている。豊かさとは何か、食の安全保障とは何か、そして地域コミュニティの価値とは何か。今回の三条への出張で改めて感じたのは、真の豊かさは東京の中心部だけにあるのではないということだった。新潟の田園風景、三条の職人文化、70年続くカレーラーメンの歴史──これらすべてが、日本の本当の価値を物語っている。当社が掲げる「OFF TOKYO 東京にこだわらない生き方」というビジョンは、まさにこうした地域の価値を再発見し、東京一極集中ではない多様な働き方、生き方を提案するものだ。三条で味わったカレーラーメンのように、地域にはそれぞれ独自の文化と産業があり、そこには学ぶべきものがたくさんある。私たち企業人にとって大切なのは、東京という枠にとらわれることなく、日本全国の地域が持つ可能性を見つめ、そこでビジネスを展開し、地域と共に成長していくことではないだろうか。三条のカレーラーメンに込められた職人たちの魂と、新潟の豊かな田んぼが育む米への感謝を胸に、今日も地域のためにできることに汗をかいていきたい。それが、この豊かな国に生まれ、この時代に事業を営む者としての責任であり、喜びでもあるのだから。