長崎の街が目覚める早朝、鍋冠山公園を訪ねました。澄み渡る青空の下、青栁智子さんのお気に入りの場所でお話を聞きました。「ここが好きな理由は、人が少ないからなんです。心を落ち着かせたい時や、気持ちをリセットしたいときによく来ます」長崎の人々の温かさと親切さを語りながらも、時には一人になって物事を深く考えたいときもあるという。「少し距離を置いて、じっくりと考えを巡らせたい時があるんです」1997年生まれの青栁さんは、活水高等学校音楽コースを卒業後、青山学院大学総合文化政策学部へ進学。「18歳の当時、アナウンサーになりたいという夢を持っていました。何でも手に入れられる、キラキラとした場所という印象を東京に抱いていて。当時の長崎には、そういった輝きが足りないように感じていたんです」高校生だった青栁さんは、テレビを通して見る東京の街に魅了されていたそう。「番組を作る人々の仕事や環境を知りたいと思っていました。長崎にいては、それを学ぶことはできないと考えていたんです」「東京での生活は楽しかったです。アルバイトやプライベートで様々な経験をし、たくさんの思い出もできました」しかし、その一方で違和感も覚えていたという。「自分がいなくても世界が回り続けているような感覚です。自分の存在が希薄に感じられることが嫌でした」「長崎は確かに人は少ないですが、コンパクトな街なので、行きつけの店ができ、店員さんとの会話も生まれます。『この前も来られましたね』『また来ました』といった何気ない会話から繋がりが生まれ、信頼関係も築ける。「東京では、スタッフが頻繁に変わり、そもそも会話する機会も少なかったです」大学卒業後、長崎に戻った青栁さんは、活水女子大学音楽学部の研究生として学びながら、新たな可能性を見出していく。地域のアーティストが芸術活動を通じて長崎をもっと楽しい街にできると考え、市民団体「ことはじめ」を設立。現在は「ことはじめ」の代表として多様な芸術イベントを企画・実施する傍ら、2022年度からは「地域芸術を愛でる塾」の塾長も務める。同年10月からは「地球館」の館長として、多文化理解と国際交流にも尽力している。恋愛についても、東京と長崎での経験は大きく異なった。「東京の大学入学後すぐに彼氏ができましたが、その関係では自分を抑えすぎてしまいました。相手に嫌われないように、相手の望む自分になろうとしすぎて、結果的にうまくいきませんでした」「今の長崎では、自分らしく過ごせています。悲しい時や寂しい時は、人前で涙を見せることもできます。東京では抑え込んでいた感情を、ここでは素直に表現できます」周りの人々も、そんな素直な感情表現を受け入れてくれるという。「むしろ、素直な感情表現が信頼関係を深めているように感じます」鍋冠山公園から見える長崎の街並み。18歳の頃は物足りなく感じた故郷で、今、青栁さんは新しい文化を育む活動に力を注いでいる。それは、この街だからこそ見つけられた、自分らしい生き方なのかもしれない。%3Ciframe%20width%3D%22800%22%20height%3D%22450%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FXt-0UfqtMCk%3Fsi%3DdeipHnrDM40imaXO%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3D%22%22%3E%3C%2Fiframe%3E