「高校生のときから、とにかくまちを出たくてしょうがなかったんです」
そう振り返るのは、静岡県磐田市で塩づくり、イベント制作、海の清掃活動と多彩な活動を展開する長谷川直紀さん。

地元を出て18年。名古屋で様々な人脈を広げてきた。そんな彼が今、磐田にいるのはなぜか。
その背景には、一人の親としての気づきと、海への想いがあった。
娘が生まれて感じた、暮らしの違和感
高校卒業後、愛知県の大学に進学した長谷川さん。
大学卒業後の進路に悩むなかで、仕事がないなら地元に帰ってきなさいという母親からの声もあった。
「とにかく帰りたくなかったから、地元じゃできない仕事をしようと考えて。芸能人と仕事するとか、メディア関係の仕事を探して、レコード会社に入りました」
そこから名古屋の老舗クラブに出入りするようになり、クラブの関係者との人脈を築いていった。
その人脈から広がり、飲食関係の仕事や、イベントの制作などをするように。名古屋のエンタメシーンで充実した日々を過ごしていた。
転機は、娘が2歳のとき。
「娘を連れて地元に帰ると、走り回って遊ぶんですよね。そこから名古屋の自宅マンションに帰ってきて、抱っこから下ろした瞬間に同じように走り出して。それを『静かにしろ』って注意している自分にすごく違和感を覚えたんです」
「仕事もうまくいって、全部うまくいっているんだけれども、何かここから先、自分が名古屋でずっと暮らしていくって想像がつかなくて」
地元に帰るのもありだと感じた長谷川さんは、Uターンを決断した。
記憶と違う海と、そこから生まれた塩づくり
磐田に戻った長谷川さんが最初に感じたのは、幼い頃から慣れ親しんだ海への違和感だった。
「昔から海によく行っていて、悩んだりすると、地元の海で友達としゃべったりしていました。その海に名古屋から帰ってきたときに訪れたら少し記憶と違っていたんです」
そうして同級生など数名の仲間と共に、海の清掃活動を始めた。

活動をしていくなかで協力する人が増え、学生のボランティアの受け入れなどもおこなうようになった。
「清掃を始めて地元の海がきれいになっていくのを体感するなかで、海をきれいにするだけじゃなくて、きれいにした海から何かもらえないかなと考えるようになって」
サーファーならサーフィン、釣り人なら釣り。では自分は何を海からもらえるだろうか。
調べてみると、磐田の海には可能性が隠れていた。
黒潮の海流が速く、フレッシュな海水があり、水質検査でもきれいな海水だとわかった。
そして日照時間が、全国的にもトップクラスであることがわかった。
「きれいな海水がとれて、日照時間も長い。これは塩づくりに向いているんじゃないかと思って」
そうして長谷川さんは海から塩がもらえると思い、塩づくりを始めた。
完全天日塩「塩衆の藍」
長谷川さんの塩づくりは、熱源を日光の熱だけに頼る完全天日製法。海水に四方から日光を当てて、日光の熱だけで蒸発から結晶化までさせる。
その塩に名付けたのが「塩衆の藍」。磐田市を含めた静岡県西部地域は「遠州地域」とも呼ばれる。

「遠州の『塩』で、自分の塩づくりに関わってくれた人たちの『衆』という文字に込めて。響き的には『遠州の愛』にもなるし、藍色の『藍』の花言葉に『あなた次第』っていう意味もあるので、関わってくれた人それぞれで楽しんでもらえたらという思いを込めました」
塩づくりの試行錯誤を始めたのは2024年から。長谷川さんは、職人と呼ばれることに少し戸惑いを感じると話す。
「塩をつくれるという事実はあるけれど、塩づくりを通して地域活性や、課題解決に繋げたいという気持ちの方が強いです。地域の人がやってみたいと思ったらやれるような環境をつくっていきたい」
自身が職人として塩づくりを極めるというよりは、磐田市全体が塩の産地になることを目指したいと話す長谷川さん。
磐田の塩を知ってもらい、食べてもらうために、天日塩を使ったフードの移動販売やイベント出店もしている。

磐田で0から1を生み出す
地元を出たい思いが強かった長谷川さんが今、地域おこし、まちづくりをしたいと思うのはなぜなのか?
「実はそれ、自分でも疑問だったんです(笑)でも一番は、ここに育つ自分の娘がいるから。誇れる地元を残してあげたいかな。あともう一つは磐田市全体でプレイヤーが多くないと感じていて、自分がやろうとしたことが0から1にカウントされることが多い」
「0から1を始められる環境って、自分にとってすごく生きがいを感じるんです。人生において前に進んでいる感覚があって。それが結果として地元のためになったらより良いなと思ってますね」
かつて「出たくてしょうがなかった」地元が、今では誰よりも可能性を感じる場所になっている。
磐田から全国へ、アーティストをつくる
地元に帰って7年目、築いてきた人脈を通じて地域のイベント制作の活動もしている長谷川さん。そのなかで、磐田市出身のアーティストと出会い、新たな夢も生まれた。
「もともとクラブの人間だから、その人脈を使って磐田から誰でも知っているアーティストをつくりたいという夢が出てきたんです」
2026年はアーティストプロダクションを立ち上げ、本格始動していく。

自分らしく、充実した時間を過ごせるわたし――
磐田市が掲げる『いいわたし』というメッセージ。
そこには『わたし』が磐田市とのつながりで人生をもっと良いものに、充実させて欲しいという意味が込められている。
「子どもたちに授業させてもらう機会があって、将来の夢を聞くと、サッカー選手みたいな職業が返ってくることが多いと思うんです。でも僕自身はどういう人間でいたいかを大切にしたいなと。塩づくりも、イベント制作も、食堂もすべて『自分』として周りをより良くしていけたらと思っています。でもこれ多分、地元に帰ってきて数年経った、今だから言えることかなと思いますね」


名古屋からのUターンで始まった長谷川さんの挑戦は、磐田という地域に新しい物語を紡ぎ続けている。