大牟田駅から10分ほど歩いた先、
線路沿いのコンクリートの建物に、新たな命が吹き込まれようとしている。

「この建物は、もともと旅館として使われていたんです。」
そう教えてくれるのは、建物周辺の草むしりをちょうど終えた森田英介(もりた
えいすけ)さん。
彼は現在、有限会社吉浦ビルのCEOとして、空き家再生事業を手がけている。

「旅館の営業自体はおそらく20年前くらいには終了していて。それからずっと空き家になっていました。この空き家をまちづくりにつなげるような場所にしていきたくて、再生に向けて動いています。」
何になるかをまだ模索中だというこの建物は、旅館の名前をそのまま引き継ぎ「古里荘(ふるさとそう)」と呼ばれている。
建物内に足を踏み入れる。
昔ながらの階段やすりガラスの窓、地域の人の手によって塗装された壁や張り替えられた床や天井がある。

有限会社吉浦ビルは福岡市で不動産業を営んでおり、数年前から大牟田市を皮切りにして空き家再生事業に力をいれている。
「『九州の空き家1万棟再生』という10年ビジョンを掲げていて、事業のひとつに空き家再生事業があります。その事業のスタートが大牟田なんです。大牟田は九州の真ん中に位置しており、高速道路、鉄道、船と交通のハブになる場所で、大牟田から攻めていくことができれば、周辺エリアにも広げていけるというイメージをもっていました。」
森田さんは福岡市に住みながら、月の半分程度を大牟田で過ごす生活をしている。
大牟田は高校時代に通学していたこともあり、馴染みのある土地であるそう。
もともとソーシャルビジネスに関心をもっていたという森田さん。
そのなかでも空き家問題に関心をもったのは、大学時代の経験からだった。
「自分は柳川の中でも外れの方の田舎の出身で。大学生になって地元を離れ、たまに実家に帰ると、家の前の建物の倒壊が徐々に進んでいたんです。気づいたときには更地になっていて。」
「そのあとも地元に帰るたびに『ここ何かあったよな~』って思うことが続いて。空き家になって、どんどん建物がなくなって、更地になっていく。でも、そこ何があったのかを思い出せない自分に、衝撃を受けました。地方って、場所や建物に色んな日本の伝統とか文化が根付いているのに、消えていくってめっちゃ悲しいなと。」
大学時代、意識的に多くの経営者に会いに行っていたなかで、有限会社吉浦ビルの元代表取締役である吉浦さんを知ることになる。
「ただ単純に、吉浦さんのやっていることと、自分のやりたいことがすごく近いんじゃないかと思って、1年間、吉浦さんのもとでインターンをしてました。」
インターンは、大牟田での空き家再生事業と一緒にスタートした。

「美スズ」という物件の再生に携わり、ひとつの空き家再生の事例をつくりあげた。
もともと美容室であったこの建物は、1階がカフェ、2階がシェアオフィスに生まれ変わった。

このとき大学4年生。多くの学生は就職活動に必死な時期だ。
「就職活動はしてなかったんですよ。自分のなかでは、空き家やまちづくりにつながるようなことをやりたいという思いがあったので、就職活動が絶対の選択じゃないよねと思いながら動いてました。」
「1年間インターンをしてみて、『九州の空き家1万棟再生』は、まさに自分がやりたいことだと思って。自分の未来もすごく描けたので、吉浦さんに相談して入社することになりました。」
ただ、このときはCEOでの入社を意図していなかったそう。
「3年後くらいに独立を考えていて、そのうえで一緒にやれないかと吉浦さんに聞いてました。そしたら『経営したいなら、もう最初からやってみたらいいじゃん。』っていうので、ポジションを与えてもらったんですよね。」
1年間のインターン期間があったとはいえ、異例のオファーではある。
「聞いたときは『なに言ってんだ?』という感じでした(笑)でも、言われてることは確かにそうだなと思って。このチャンスをいただけるってあり得ない話なので、やらない手はないなと思って引き受けました。」
そうして、CEOとして3年目を迎える春。
朗らかで前向きな人柄で、いつも主体的に動きながらやってきた。
この2年大きな問題は起こっていないものの、全てがうまくいっているわけではない。
「ずっとあるのは『本当にCEOとしての役割を果たせているのかな』って。それはずっと悩みとしてあるかもしれません。2年たっても、わかんないですよね。」
「CEOという役割を自分がどこまで果たせるのかというのはちょっと疑問というか、悩みとしてあるかもしれないです。」
2年持ちつづけるには苦しく思うそんな悩みと、どう付き合っているのか。
「どこかのタイミングで『それでいいのかな』って思いました。多分これって悩み続けるものなんじゃないかなって。自問自答しつづけるから、『次はこれやろう』って思えてる気がするので。」
わからなくても動く。わからないから、動く。
一見苦しく思える悩みも、自分の行動の原動力に変えるその姿勢に森田さんの強さを感じる。

そんな森田さんの根幹には、大学時代の教授から受けた言葉がある。
「『人生の経営者になれ』っていうのが講義の理念だったんです。人生の中の主人公は自分だから、人生におけるいろんな行動の選択は、自分自身でやれる人になりなさいって。」
「尊敬している先輩や、かっこいいと思う経営者の方は、まさに人生の経営者なんですよね。ブレずに、自分の軸をもって、自分の人生を生きてる。」
時折、人と比較してしまったり、なんか丸く収まっちゃったりしながらも、そんな自分を客観的に見つめ直して軌道修正しているそう。
『人生の経営者になれ』
この言葉に導かれるように、自身の人生の選択をしてきた森田さん。
「いまは、自分の人生、生きれてるって感じます。」
爽快な表情で、そう語ってくれた。
「自分は社会課題を解決したいという思いに対して、最善の策選んで、いまの仕事してるって、自信をもって言えるから。妥協のない選択をしたと思ってます。」
人生の経営者になるということ、妥協のない選択をするということ。
言葉では簡単だけれど、体現するためには何が必要だろう。
「『やりきった』って言えるぐらい自分の頭で考えて、やれることをやったかどうかじゃないですか。そこは他人の評価じゃなくて、自分の頭で考えることから始まると思いますね。」
今後の夢を尋ねると、森田さんの目が輝いた。
「まちづくりのスペシャリストになりたいなと思ってて。依頼があれば、複数の空き家をまちづくりの起点にして、まちを変えていく。『あいつが動けば、まちが盛り上がる』みたいな、そういう男になりたいです。」
森田さんの言葉には、地域再生への熱い思いが込められていた。
そして、森田さんが想像する地域再生の起点には、いつも空き家がある。
正解のない世の中。
歩む道は多様化して、より不安になったり、いつまでもゴールが見えなくて辛くなったりするかもしれない。
そんななかで自分を支えてくれるのは「自分で選択をした」という事実なのかもしれない。
春の陽光に映える空き家再生の現場。
森田さんはこれからも自分の信じる道を選択し、歩み続けていくのだろう。
