急須の一杯がくれた、自分らしさ。磐田の茶屋で見つけた「いいわたし」

「家で急須を使ってお茶を淹れたことのある子、いる?」

ある小学校での授業中、そう問いかけたお茶屋の女性に手を挙げたのは、ゼロだった。

家に急須を持たない人も多い時代。

だからこそお茶の可能性を広げ、多様な楽しみかたを提案してくれる人がいる。

静岡県磐田市にある「お茶のかねまつ角打ち茶屋」。築100年以上の古民家を改装したこのカフェには、お茶農家が “原点のおいしさ”を発信したいという願いを込めて営んでいる。

今年も夏季の人気メニュー『いわた抹茶のかき氷』が始まったばかり。その中でも通常のシロップの約3倍の濃さである『濃いいわた抹茶のかき氷』は、店主である松下希美さんがお客さんの声に応えて生まれた。

今回は名産品であるお茶を、さまざまな形で届ける松下さんのお話に触れてきました。

結婚を機に、お茶農家の世界へ飛び込む

松下さんは静岡県伊豆の国市出身。20年前、磐田のお茶農家「お茶のかねまつ」に嫁いだ。

「本当に何も分からず勢いだけでした。もう10年遅かったら『ごめんなさい』って言ってたかもしれないですね(笑)」

それまでの消費者としての立場から一変、生産者、販売者として携わることに。

その後、元々接客が好きな性格を活かしワークショップをスタート。やがて、あるきっかけが彼女を“店主”へと導くことになる。

カフェ開業のきっかけは、お客さんのひと言

ご主人が抹茶の原料「碾茶(てんちゃ)」の栽培を始めたのを機に、松下さんはワークショップで抹茶を使ったスイーツを提供するようになる。すると「この場所で食べたい!」という声が次々に寄せられ、2019年に「角打ち茶屋」をオープンした。

店名には、九州の酒屋用語で「店頭で飲む」=「角打ち」という意味を込めた。

 「お茶って、ちょっと肩ひじ張るようなイメージがあるじゃないですか。もっと気軽に楽しんでほしくて、この名前をつけました。」

その名の通り、どこか懐かしく、力の抜けた空間がそこにある。

抹茶パフェ、濃い抹茶のかき氷、 共に育つメニューたち

オープン当初、常連のお客さんに「抹茶パフェやらないの?」と提案された松下さん。

 「やってみようかな」と始めてみると、地域の情報誌に掲載され、若い世代の来店が一気に増えた。

さらに夏の新メニューとして登場したのが「濃い抹茶のかき氷」。「伊豆で食べた濃厚な抹茶氷が忘れられない」というお客さんの言葉をきっかけに、誕生した逸品。

こうした“お客さんとの対話”が、この茶屋の一番のレシピ本になっている。

お茶は、無料じゃない。価値ある一杯を届けたい

角打ち茶屋では、来店時にまず「水」を出す。すると時折、「お茶が出てこないの?」と聞かれることもあるという。

「静岡だと、お茶って“無料で出てくるもの”というイメージが強い。でも、本当は農家さんや茶師が手間をかけて作った、大事なものなんです」

そう語る松下さんの言葉には、「お茶=無料」から脱却し、本来の価値を取り戻したいという強い意志がある。

急須文化の原点を、子どもたちへ

とある日、小学生の男の子が母親に向かって言った。

「この前はこのお茶だったから、次はどれにする?」

角打ち茶屋のメニューを真剣に読み、品種ごとの違いを楽しもうとするその姿に、松下さんは思わず胸が熱くなったという。

「急須で淹れるお茶って、味も香りも豊かなんです。でも今はペットボトルのお茶が主流で、原点の味を知らない人が多い。だからこそ、まずは“気軽に美味しい”体験を届けたいんです」

急須にお湯を注ぎ、ふわっと立ちのぼる香り——。そんな時間の豊かさを、次の世代へ繋いでいこうとしている。

自分らしくいられる場所は、茶葉と向き合うとき

最後に「自分らしくいられる瞬間は?」と尋ねると、松下さんは少し考えてこう答えてくれた。

「やっぱり、仕事してるときかな。お茶や抹茶を使って新しいものを作る、あの試行錯誤が好きなんです。ずっと同じことだけだと飽きちゃうから、また何か面白いことを始めたくなるんですよね」

自分の「いいわたし」を見つける、そんな一杯から。

伝統を受け継ぎながら、自分らしいやり方で新しい価値を生み出していく。松下さんの姿は、まさに「いいわたし」を体現しているように感じました。

急須で丁寧に淹れるお茶は、どこか懐かしくて、今の暮らしにちょうどいい。その一杯を誰かと分かち合う時間の中に、自分にとっての“原点”や“らしさ”が見つかるのかもしれません。

「なんとなく」で過ぎていく日常に、ほんの少し立ち止まってみる。

 そんな一歩から、あなたの「いいわたし」が始まるかもしれません。

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