「動物性のものを使っていないから、オイリーだけどギルトフリー。食べても罪悪感がないんですよね」その一杯には、味だけではなく“思想”と“物語”が込められています。
※この記事はインタビュー動画をもとに構成したダイジェストです。記事では触れきれない内容はこちらからご覧いただけます。
こんな麺、見たことない

山口さんのビャンビャン麺は、まず見た目で驚きます。
春菊、紫キャベツのマリネ、パクチー、自家製ヴィーガンチャーシュー。
季節ごとに変わる野菜が、極太麺の上に鮮やかに重なります。
「一番出るのはクミンソースですね。花椒のピリッとした感じが分かりやすい」

自家製ラー油とガーリックオイルを回しかけ、黒酢と醤油ダレで仕上げる。
香り・辛味・酸味が重なり合い、箸が止まらない。
「“うますぎる”って言って、もう一杯食べていったお客さんもいました」
東京にある、中国人が営むような本場スタイルのビャンビャン麺とは、まったく別物。本場のシンプルさとは対照的に、野菜の存在感が際立つ一皿です。
原点は、ハードコアバンドだった

山口さんは埼玉県蓮田市出身。
学生時代まで地元で過ごし、20代前半から東京で一人暮らしを始めました。
就職したのは、30代になってから。
それまではずっと飲食のアルバイトを続けながら、ハードコアバンドで活動していました。
「社員になると土日も出なきゃいけない。バンド活動と両立できなかったんですよね」
彼が演奏していたハードコアは、社会へのアンチテーゼを含む音楽。
その思想は、ヴィーガンの考え方と強くリンクしていました。
「ハードコアのアーティストたちのインタビューや歌詞を見て影響を受けました。自分でも取り入れたいと思ったんですよね」
ヴィーガンを“続ける”という難しさ

ただ、想いだけでは続きません。
「お肉が嫌いでやめるわけじゃない。だから、食べたいけど我慢しなきゃいけない」
さらに、ヴィーガン料理を提供する店は少ない。
理解も得にくく、誘惑も多い。
その続けづらさが、山口さんの問題意識になりました。
「だったら、自分が場所を作るしかない」
同じ考えを持つ人が、無理なく続けられる場所。
そうした場づくりを目指しました。
その第一歩として、ヴィーガンレストランで働き始めます。
7年の修行、そして歌舞伎町へ

最初に入ったヴィーガンレストランは、理想とは少し違っていたといいます。それでも、オーナーからこう言われました。
「いつか山口君がやりたい店をやれるタイミングが来たら、サポートする」
その言葉を信じ、7年間働き続けました。
そしてついに、東京・新宿歌舞伎町でヴィーガンバーガー店をプロデュース。
レシピ、メニュー、店名、内装、世界観。
すべてを自ら手がけました。
当時はインバウンド需要も増加傾向。
海外のバンド仲間や若いヴィーガンたちが連日店に訪れ、店は活気にあふれました。
順調に見えた東京での挑戦。
しかし、その先で大きな転機が訪れます。
後編へ続く
東京から三条へ移住した理由と、ビャンビャン麺を選んだ背景は後編で紹介します。
📹 山口さんの動画はこちらからご覧いただけます