鳥取市の中心市街地から南へ30分ほど車を走らせると、特徴的な赤い橋が見えてくる。
「流しびなの里 用瀬」と書かれた「ひいな橋」と、金閣寺をイメージして建てられたとされている「流しびなの館」が出迎えてくれるこの町は、鳥取市用瀬町(もちがせちょう)。用瀬は「もちがせ」と読む。宿場町の雰囲気が残る鳥取市最南の町だ。
用瀬町で古くから受け継がれてきた「流しびな」という文化はご存知だろうか。
1年間の厄災を移した紙雛を「さん俵」にのせ、毎年旧暦の3月3日に千代川に流すことで無病息災を祈るというもの。

そんな伝統文化の継承をする、用瀬町地域おこし協力隊の堺泰樹さんにお話を聞いた。

用瀬との出会いと、伝わる地域への愛着
出身は京都市。大学進学で鳥取大学へ。
大学時代に運営に携わっていた鳥取市街地のイベントが、ある年に用瀬でも開催されることになった。そんなきっかけで、初めて用瀬に降りたった。
翌年からは用瀬のみに絞り、「いなば用瀬宿横丁さんぽ市×トットリ式屋台楽宴プロジェクト」として開催。堺さんは実行委員長としてもイベントに関わり、用瀬を盛り上げてきた。
写真一番左が堺さん
大学卒業後は、広島の書店へ就職したが、卒業後も時々用瀬のイベントに来ていたそう。
その後、結婚し子どもが生まれたことで、都会を離れて落ち着いた場所で子育てをしたいと思うようになった。その時に思い浮かんだのは、用瀬の風景や、手入れの行き届いた街並みだった。
特に好きなのは瀬戸川という川。元々は生活用水として使用され、家の裏側に流れる川。

「各家に橋がかかっている風景が好きで。きちんと手入れが行き届いていて、地域の方の愛着を感じるんです。春には、梅花藻という水の綺麗なところにしか生息しない植物もあったりします」
田植えから始まる流しびなの制作
現在は、「ときわ流しびなの会」という6名のグループと堺さんが、お土産やイベント用の流しびなを制作している。メンバーが高齢化する中で、制作技術の継承は地域にとって大きな課題だ。
流しびなの制作には、長い藁が必要なため、現代の稲刈りの機械は使えず、作業はすべて人の手で行う。堺さんも春から田植えや、稲刈りにも参加して材料の調達をするところから関わっている。稲刈りを終えて、藁を乾燥させ、10月頃からイベントが開催される3月または4月までの間に、流しびなを作る。2025年度は約700個を製作する。
6名のメンバーの中でも、藁を整えて長さを揃える担当や、紙雛を作る担当、さん俵を編む担当とに別れて作業を進める。束にした藁からさん俵を1つ制作する時間はおよそ20分ほど。週に2回ほど集まって、制作をしている。

取材時に私も制作体験をさせていただいたが、均一に藁を編み込む技術や紙雛を作る細かな作業が難しい。
「制作していると、今自分は地域に受け継がれた伝統文化の中にいるんだ、というのを実感します」
初めの1年は、100個以上のさん俵を編んでいたという堺さん。今後は紙雛の作成などにも取り組む。大変な作業の中で、堺さんは来て1年とは思えないほど、制作メンバーの中に溶け込み、頼りにされているのが伝わる。
技術継承のため、会のあり方についても現在検討中だそうだ。
ときわ会のみなさんもそんな堺さんの行動力と探究心に関心し、期待しているのが伝わってくる。
今振り返る、恩師の言葉
大学では地域学を専攻し、地域や社会との関わり方について学んだ。
そのとき恩師によく言われていた言葉があるという。
“いま ここを 誰と どう生きるか”を考えなさい
大学を卒業して広島の書店に就職した時、ライフステージの変化があった時、そして用瀬に移り住んできた今、改めてこの言葉について考えることが増えたそうだ。

「今自分は、この場所で、誰と仲間になってどんな人生を作っていくのか。まだ来て1年で、まだまだこれから人生長いですが、手探りで作っていきたいなと思っています。」
そんな堺さんは現在、用瀬の町に本屋を作るため、少しずつ準備を進めている。周辺でも少しずつお店を開業する人も増えてきている用瀬で、きっと良い関係の仲間を作って、用瀬を盛り上げていく堺さんの姿が思い浮かぶ。
連鎖する地域への愛着
愛着を持って関われる地域があることは、きっと人生を豊かにしてくれる。
堺さんの愛着が、次なる移住者を用瀬の町に呼び込むかもしれない。
