時津ヤスダオーシャンホテルの窓からは、大村湾が広がっています。34歳で安田産業汽船の代表を務める安田舟平さんは、かつて東京消防庁で災害現場の最前線にいました。家業を継ぐため故郷に戻り、海上交通の維持に奔走する日々。そして休日には、長崎の伝統「ペーロン」に情熱を注ぐ姿を見せてくれました。「長崎県は海に囲まれた場所。この海を大切にしていかないといけないんです」1990年生まれの安田さんは、大村市で育ちました。時津町とのつながりは14年前に遡ります。当時20歳だった安田さんは、先輩に誘われて時津町のペーロン大会に参加しました。「ペーロンは30人で息を合わせないと船が進まない。皆で一緒に頑張るからこそおもしろいんです」大学卒業後、東京消防庁に入庁。災害現場の最前線で活動する日々を送りました。「消防の仕事は本当に好きでした。先輩、後輩、上司との関係も良好で、充実した毎日でした」しかし、家業に後継者がいないという現実が、安田さんの決断を迫ることになります。「一番寂しかったのは、帰ることを決めた時。でも、長崎が好きで、故郷に貢献したいという気持ちもありました」長い時間をかけて考え、最後は家業を継ぐ決意をしました。帰郷後は、船の運航管理から現場作業まで、様々な業務に携わりました。「最初は何もわからなかった。でも、船の安全を守るという使命感で必死に学びました」海の危険さを知る安田さんだからこそ、安全への意識は人一倍強いといいます。現在は五島列島内の海上交通サービスを営む五島旅客船の運航管理や、大村湾、博多湾内の海上交通サービス、そして宿泊業務と、幅広い事業に携わっています。休日になると、安田さんはペーロンの練習に励んでいるそう。「オフシーズンでも皆で集まって練習しています。」ペーロンとドラゴンボートの違いを熱心に説明してくれる安田さん。その眼差しには特別な輝きがありました。「誇りをかけた戦いだからおもしろい。真剣勝負だからこそ、魅力があるんです」時津ヤスダオーシャンホテルの窓からは、時津町のシンボルが見えます。「この町が10年後、20年後も続いていってほしい。私もその一部になれたら」そう語る安田さんの言葉には、確かな覚悟が感じられました。長崎県は海に囲まれた土地。大村湾、有明湾、橘湾と、様々な表情を見せる海があります。 「長崎は海の都。ペーロンの龍神も、海の神様に近いものがあるんです」子どもの頃から海が身近にあった環境は、安田さんにとって当たり前の風景。「これって長崎県ならではのことですよね。小さい頃から海で遊ぶのが日常だった」消防士として東京で過ごした経験があるからこそ、地域の海上交通を守ることの大切さを、誰よりも実感しているのかもしれません。時津町への恩返しの方法を、安田さんは日々の仕事とペーロンに見出しているのかもしれない。 大村湾に夕陽が沈みゆく頃、窓の外では漁船が静かに帰港している。この景色を、これからも守っていく。その想いを胸に、安田さんの挑戦は続いています。