寒波が通り過ぎ、春の訪れを知らせるような暖かさを感じる日。
向かったのは、大牟田市の総合公園、諏訪公園。
寒すぎて取材できないんじゃないか、なんて思っていたのは杞憂だった。
空は、雲ひとつなく、絵に描いたような青さだ。

「私は、起業する!や、農業始める!とかで、地方移住をしたわけじゃないんです。」
ただただ、のんびり生きたいと思った。
取材を依頼したとき、等身大でそう話してくれた内田信世さん。
生まれは、埼玉県熊谷市。
親戚もみんな埼玉県に住んでいて、大牟田に移住をするまで生活の中心は埼玉だった。
「学生時代、友人が沖縄のおばあちゃん家に行ってきたっていう話を聞いたりして、遠い場所に住む親戚をもつことへの憧れがあったんです。地方で、気軽に行ける場所があるっていいなぁ、って。」
そんな憧れから、いつかは都心を離れてみたいという思いが漠然とあった。
一方、慎重な性格もあり、そう簡単に行動には移せなかったそう。
専門学校を卒業すると、東京都庁へ入庁した。
埼玉から片道2時間、満員電車に揺られる日々。
「毎朝5時に起きてました。今思うと、よくできてたなって思います。」
そんな内田さんに転機がおとずれたのは、25歳のときだった。
入庁5年のタイミングで都庁を退職した。
「仕事を辞めたのをきっかけに、九州に旅行へ行ったんです。それまでも、いろいろ旅行はしてたものの、九州って行ったことないなーって気がついて。思い切って行ってみよう!と。」
そうして踏み出した3泊4日の九州縦断の旅。
鹿児島から入って、熊本、福岡と3県を巡ると、九州に魅了されたそう。
「すごく印象が良くて。料理も見たことないものばかりでしたし、人がフレンドリーっていうか、近いなぁって。」

穏やかな内田さんの声から、当時の満たされた旅行体験が伝わる。
「なんかいいなぁ、いつか住みたいな、って思って。これが、移住をするときに九州を選ぶことになったきっかけですね。」
それでも、「すぐに移住!」とはならなかったそう。
「臆病者なんです。思い切りがほしいなと思うんですけど。」
そんな内田さんの移住への意志はどこで固まったのだろうか。
「本当に決意をしたのは、コロナがきっかけです。」
「リモートワークも普及して、都心に住んでなくてもいいじゃんって考えが世の中に浸透したと思うんですね。それにのっかるかたちで。」
世間の当たり前が覆されたコロナ禍。
その変化をポジティブな追い風にして、自分の生き方を模索した。
「改めて考えると、今の暮らし、埼玉じゃなくて良くない?って。」
リモートワークができる仕事内容だったわけではなかったが、世の中の風潮も相まって、当時の自分を突き動かした問いだった。
「なにより、家にいるのが好きなんです。地方には、今いるところより広くてきれいで、それでいて家賃も安いところがある。これ以上のことないんじゃないかって。」
こうして決意が固まった内田さん。
移住に至るまでは、2年という歳月をかけてじっくり計画を進めた。
「私の場合は、地方での仕事があるから移住する、とかじゃなくて。そこに移り住むということ自体を目標にして動いていたので。本当に時間をかけて、計画を練っていたなと思いますね。」
当時は、住みたい場所をリサーチして、生活の利便性、交通アクセスの良さなどの比較表をつくり、どこに移住するかを検討をしていたそう。
「じわじわ時間をかけて、長期的に計画目標をたてて、達成をしたっていう流れです。」
これだけ慎重な内田さんが選んだ場所、大牟田市。
そこには、どんな出会いがあったのだろう。
「実は、熊本に住みたかったんです。」
まさかのカミングアウトだ。
「ただ、移住支援制度の条件が合わなくって。じゃあ、熊本の近くで探そうと地図を見ていたら、大牟田市を見つけたんです。」
地図上で出会った大牟田市。
そこから調べるほど、市のポテンシャルを感じたそう。
「九州の真ん中にあって、熊本方面にも行けるし、福岡市内にも行ける。なんなら船もある。大牟田を選んだら、自分の選択肢が広がるなぁ、最高この上ない!って。」
宝を探しあてたような気持ちで、検討はどんどん進んでいった。
移住前に、大牟田市のお試し居住制度を使って、1週間大牟田での生活を体験した。

実際の生活と、想像とのギャップはあったのだろうか。
「想像と違ったっていうのがなさすぎて。私は、自分が豊かになるためにはどうしたらいいかをテーマにして移住してきたので、本当に想像通りに、ゆるく穏やかに過ごせてます。」
「豊か」のあり方は、きっと人によって違う。
「埼玉にいたときは、職場の人間関係がうまくいかなかったり、満員電車の通勤に疲れ果てていて。なんか当たり前のように、イライラがあったんですよ。当時は気づかなかったんですけど、今思うとすごいあったなって。」
環境によって、心にかかっていた負荷があった。
「こっちに来てから、ゆるやかで、土地も広くて、人もほどよくて。これが余白のある暮らしだなっていうのを思いながら、そんな日常に豊かさを感じてますね。」
大牟田に住んで3年目。
このイライラがなくなったことがすごく大きいそう。
近所のお花屋さんで一輪だけお花を買ったり、観葉植物のお世話をするようになったり。
「自分のために生きようって思えるようになって。それから、ゆとりがでてきて、自分の感情をコントロールできるようになりました。」
都心で働いていた時代は、人に迷惑をかけないことが大事で、自己犠牲は仕方のないことだと肯定してしまっていたと振り返る内田さん。
「自分をもっと甘やかす。そういう風に生きてもいいんだなーって思いました。ゆるさがある暮らしをできるようになったことは、自分のなかでは、幸せだなと思います。」
入念な計画を立てながら、自分に合う生き方のひとつを今見つけ出した内田さん。
今なら、満員電車に乗っていた時代の自分にどんな声をかけるだろうか。
「まず、それ都心じゃないとダメ?って言いたいですね。」
「たとえば、東京ってなんでもあると思うんですけど、全部使う?みたいに思ってて。自分に必要な分だけ、必要なものがあったらいいんです。一回でいいから、『余白があるところに住んでみな、そこでの豊かさがいいよ』って言ってあげたいです。」
大牟田には、友人や親族がいたわけではなかった内田さん。
「知っている人は誰もいなかったんですけど、それが良かったんだと思ってます。そういう知っている人がいない場所や、初めてみる景色を求めてる人は、私のほかにもきっといると思うんですよね。」
「もう、みんな大牟田来ればいいじゃん!って、本当思います。自分がそれだけ豊かになったので。」

取材中もずっと楽しそうに大牟田のことを語る内田さん。
心の余白ができるとともに、慎重派の彼女にも変化が起きているそう。
「これまで、資格勉強したり、スキルを身につけたりって踏み出せなかったんです。意味ないなとか、自分にはできないなって思っちゃってて。ただ、心の余白ができて、自分のペースで、ゆるやかに何かを身につけたり、踏み出していきたいなって思ってます。」
寒さを乗り越え、春の光に包まれる大地。
取材で訪れた諏訪公園もまた、豊かな自然の中で新たな季節の訪れを待っていた。
芽吹き始めた春の花々は、それぞれのペースでゆっくりと咲く準備を進めている。
早く咲くことがいいのではなく、大切なのは自分のペースで歩むこと。
大牟田で新たな一歩を踏み出した内田さんの姿は、その花々とどこか重なって見えた。
