日中の陽だまりに柔らかな温もりを少し感じた、2月のある日。 磐田市役所本庁舎の裏にある、西庁舎を訪ねた。特産品である、海老芋やアローマメロンの情報が並んだカウンターの横から笑顔で迎えてくれた磐田市農林水産課の髙栁美月さん。 普段は特産品のPRや補助金の交付業務などを担当している。 そんな髙栁さんの様子を、農林水産課のみなさんがあたたかい眼差しでありながらも、どこかソワソワした様子で見守っているのが微笑ましい。「出身は磐田市なんですけど、小学校4年生からバドミントンを始めて。中学、高校と市外の学校に通っていました。磐田に住んではいたのですが、中高6年間は寝るために帰ってくるような生活でした」 そう語る髙栁さんは、中学生の時に静岡県大会で優勝、高校生では団体戦でインターハイに出場するなどの腕前の持ち主。しかし、小学生の頃から頭角を現していたということではなかったそう。 「小学生の時も少し遠いクラブチームに通っていたので、週に1回しか練習できなくて。中学進学の際、市内の学校にはバドミントン部が無くて。もっとバドミントンしたいと思って、市外の学校に進学することを決めました」 実は小学生の時には、陸上やピアノもやっていた。しかし、バドミントンが楽しくて続けたい。小学生時代の大きな決断が、髙栁さんがさらにバドミントンに夢中となる契機となった。そんな髙栁さんに転機が訪れたのは、高校3年生のインターハイ。プレーをみて、のちに進学することになる大学の監督に声をかけられたことだった。 「もともと大学でもバドミントンやりたくて、色々探してはいたんです。インターハイもあったので、終わってからきちんと考えようと思っていました。そうしたら、候補にあがっていなかった大学の監督に、たまたま声をかけてもらって。元々検討していた大学よりも強い学校でした(笑)」 そんな誘いを受けた強豪校は、北海道にある大学ーー。 静岡県磐田市から遠く離れた北海道への進学、ためらいは感じなかったのか。 「声かけてもらったことも含めて、最初はびっくりしました(笑)強い学校だったので、やっていけるかなっていう不安と、もちろん磐田市と全然違う北海道っていう環境への不安もありました。でも、当時の顧問の先生や、家族が『北海道いいね!』って言ってくれて。周りの人も背中を押してくれたので、行ってみようかなって思いました」 そしてもう一つ、ためらいなく進学することを決められた理由があったそう。 「ダブルスで声をかけてもらって。2人だったら大丈夫かなって思ったんです」 特に2人で話し合ったわけではなく、自然な流れで2人とも進学することを決めていたという。バドミントンで培ったチームワークがここでも発揮されていたのかもしれない。 そんなきっかけから静岡県磐田市から遠く離れた北海道での暮らしをスタートさせた髙栁さん。 「最初は雪にびっくりしました。自転車つかえないじゃんって思って(笑)そして違う土地に住んでみて、磐田市って機嫌のいい市だったんだなって思いました」 機嫌のいい市ーー。なんだかすごく響きのいい言葉だな。 「気候が温暖で、いい意味で変化が少なくて住みやすいところだったんだって離れて気づきましたね」 たしかに磐田市は滅多に雪が降らない。車移動が主流のまちだけれど、冬用タイヤを装備している方はあまり聞いたことがない。暮らしの変化を感じたものの、ホームシックなどはなかった。 「朝から晩までずっとバドミントン漬けという感じでした。強豪校だったので、レギュラー争いが熾烈(しれつ)だったり、自分がどこまでついていけるか、置いていかれないようにと必死でした。高校までは、割とのびのびとバドミントンをやっていたので」 そんな大好きなバドミントンでも環境の変化は感じていたが。それでも前向きに取り組み、4年間全国大会への出場を果たしたそう。 離れた土地での生活で気づいたことは、地元の当たり前だった環境のことだけではなかった。 強豪校ということもあり、全国各地から人が集まっていて、意図せずさまざまな地域の人と関わることになった。 「バドミントン部の同級生には北海道出身の人はいなかったです。先輩後輩を含めると、北海道から沖縄まで。全国各地から集まっていました。それぞれ練習してきた環境とか、方言とか違う部分がたくさんあって。自分にとっての当たり前ってみんなの当たり前ではないんだなって感じました」 「いろんな地域の人がいるので、『出身はどこ?』って聞かれることが増えて。静岡県磐田市だよって答えるんですけど、自分の地元のことをうまく紹介できなくて。住んでいたのに、魅力を説明できないってすごくもったいないなって思いました」 遠く離れた土地で、さまざまな地域の人と出会ったからこそ気づいた、感覚。そんな気づきを経て大学卒業後は磐田市へ。 そして磐田市役所へ入庁することとなる。配属になった農林水産課は、髙栁さんにとってこれまで関わったことのなかった、農業分野だった。 「今まで暮らしていて、あまり感じていなかったことを感じるようになりました。スーパーで見る野菜も、地元の物だなとか、誰かが苦労して作ってくれている物だって顔が浮かんだり。地元の人の仕事ぶりや苦労などが、生活の身近な部分にたくさんにあるなって。日々気づきがたくさんあります」 一度離れたからこそ、磐田市の風景も当たり前ではないのだと感じているそう。 最後に髙栁さんに、今後の磐田市で叶えたいわたしの姿、『いいわたし』を教えてもらいました。 「県外に出たからこそ、もっと地元磐田市の魅力を知りたいなと思いました。今度は市役所で働いている側として魅力を発信して磐田市っていいところだなって思ってもらいたい。帰ってきたり、住んでもらえるきっかけになれたら嬉しいです」 学生時代から自分の楽しい気持ちに正直に、前向きに進んできた。離れて気づいた自分にとっての当たり前の魅力。その魅力を多くの人に届けたいと自身で決め、今日も磐田市でたくさんのことを吸収して成長している。そんな髙栁さんの人生に触れて、自分の決めたことを、明日もがんばろう。髙栁さんの動画はこちらからご覧いただけます。