春の日差しが降り注ぐ3月のある日。不意に吹く風は冷たく頬を撫で、まだ完全な春の訪れには至っていないことを感じさせる。
向かったのは『磐田市竜洋昆虫自然観察公園』、通称『りゅうこん』。
木々が生い茂る公園。駐車場からカブトムシがモチーフの大きな遊具を横目に進んでいくと『こんちゅう館』がある。

この施設の館長を務める北野伸雄さん。
初めてお会いした際、名刺を2枚差し出してくれた。
1枚は『館長・北野さん』の名刺、もう1枚には『こんちゅうクン』と記されており、裏には特徴的なカブトムシのイラスト。

館長としての顔をもちながらも、『こんちゅうクン』という公式リアルキャラクターとしての一面も持つ。
静岡県浜松市出身、幼少期からサッカーと昆虫が好きだった。小学生の頃はサッカー選手になりたかったそう。
「中学生ぐらいで、もっと上手い人たくさんいるって思って早々に諦めました」
高校生のときに昆虫の研究がしたいと思い九州の大学へ進学。
「研究者になるために大学院へ進学したんですけど、本当にキツかったので、恥ずかしながら逃げました」
そうして、実家がある、浜松市へ戻ってきたという。
「何にもしていない時期とかもあったんですけど、たまたま今の職場がアルバイトを募集しているのを見つけて。昆虫に携わる仕事がレアだということは認識していて、しかもそれが実家の近くで叶うっていうのは、滅多にないことだと思い、すぐ応募しました」
施設自体は北野さんが中学生の頃にできていた。完成当時は、元ゴミ処理施設だった場所をつくり替えたばかりで、現在の昆虫たちが生息する環境とは少し違っていたという。
「はっきり覚えてはないんですけど、中学生の頃一度来ていて。そのときの記憶が『あんまり虫いないな〜』みたいな(笑)」
そんな一度しか訪れたことのない施設。
研究者の道を逃げたした後も、昆虫に携わりたいという思いをどこかで抱えていたのだろうか。
「今思えば、ホームページをのぞいていたり、散歩していても虫探したりはしていたと思うので、やっぱり昆虫が好きだったんでしょうね」
どこか他人事のように話していた北野さん。あまり意識せずとも、好きなものへのアンテナを張っていたのかもしれない。
そんな経緯で『磐田市竜洋昆虫自然観察公園』にて働きはじめた北野さん。
現在では館長として、そして『こんちゅうクン』として。
そもそも『こんちゅうクン』ってどういう経緯で誕生したのだろう。
「8年ぐらい前に、クワガタのイベントに講師として呼ばれたことがあって。研究者の方とプロフィール写真がならぶことになったんです。せめてプロフィール写真ぐらいはと思い、クワガタとの2ショット写真を色々撮ったんですね。鼻にクワガタをつけて撮った写真があったんですけど、それがたまたま磐田市役所の方からおもしろいねって言われて市の公式Instagramで紹介されたんです。そのときに、『#さかなクンならぬ#こんちゅうクン』って紹介されて。そこからですね」
色々ツッコミどころのありそうな話だった。
「そこから市のラジオコーナーに『こんちゅうクン』で出演してという依頼が来て。『こんちゅうクン』で来て欲しいとは?みんなの求める『こんちゅうクン』とは?って考えていったのがあの服装ですね(笑)話し方とかも最初はテンション高めに話すとか、色々やってはみたんですが、無理しているなと思って、割と序盤で辞めました」

無理はしない、でも期待に応えたいと思っていた。
「ありがたいと思っているんです。昆虫って動物とか魚とかに比べると嫌われがちですし、メジャーではないと思うので。そんななかでどうやって一般の方々に伝えるかってなったときに、市の広報に取り上げてもらえることって貴重な機会だなと」
そんな『こんちゅうクン』は、イベントやテレビ出演など、活動の幅は広くなっていった。
――とある休日
家族連れで賑わうこんちゅう館に『こんちゅうクン』の姿があった。
イベントでは、多くの家族連れと五感を使いながら虫探しが進んでいた。子どもたちが何かを見つけると「こんちゅうクーン」と友だちのように話しかけている。
「気持ちわかるんですよね。僕も小学生の時に、虫好きになったきっかけの先生に毎日報告に行っていたので」
今、こんちゅう館を訪れる子どもたちにとって、北野さんがその役を担っているのかもしれない。

『こんちゅうクン』の活動の幅は広く、小学校・中学校へキャリア教育の授業でいろんな仕事の人の話を聞く機会の一例として話すこともあるという。
「多分依頼内容としては、好きなことを仕事にしている人として声をかけていただいているのかなと思っているのですが、個人的には挫折に次ぐ挫折で(笑)夢やぶれた男が子どもたちに何を伝えればって思ったんですけど。そんななかでも、こんちゅう館で自分の好きだった昆虫に携わる仕事ができている。自分なりに伝えられる部分はあると思って話しています」
「夢を諦めた人とか、叶えられなかった人って結構多いんじゃないかと思っていて。これが子どもたちにとってリアルというか。もちろん夢を叶えて欲しいとは思っているんですけど、僕にとっては、夢が叶わなかったときにどうするかっていうのも大切だと思っていて。叶わなかったなりの生き方があるんじゃないかって」
最後に、北野さんに今も昆虫研究者になりたいかを尋ねてみた。
「うーん、今は思わないかな。なれるならなりたかったですし、本当にリスペクトしています。一度諦めてしまっているので、自分には無理だったということをちゃんと受け止めているという感じです。日々働いていくなかで、今の仕事やっていて良かったと思える瞬間があると、諦めてしまった自分を少し肯定できる。そういう瞬間を積み重ねていって、今で良かったと思えるように頑張っています」

『こんちゅうクン』の活動では、サッカーと昆虫をかけ合わせた話などもしているそう。
スポーツと自然が豊かな磐田市だからこその活動。
さまざまなつながりから、ジュビロ磐田の試合のハーフタイムでスタジアムのピッチに『こんちゅうクン』が手を振って歩いたことも。
まさに、北野さんだからこそできること。
そんな毎日が北野さんにとっての『いいわたし』。
『夢が叶わなかった』、と聞くと一見挫折のストーリーに聞こえる。
夢が叶わなかった自分を受け止め、でも自分らしさを忘れない。
そんなとき、挫折は新たな出発点になるのかもしれない。
4月、新年度のスタート。
新たな一歩を踏み出す、ソワソワしてしまう時期。でも、大丈夫。
自分を受け止め続けることで、いつでも出発はできるのだから。
そんなメッセージを北野さんから受け取った気がした。
北野の取材動画はこちらからご覧いただけます。
