「バトンタッチ」だけでは終わらない! 攻めて守る4代目アトツギ

西鉄新栄町駅を降りて5分足らずの場所に所狭しと並んだのぼり。

お店に足を踏み入れると、優しいお茶の香りに包まれる。

店内中央にある茶香炉がいい仕事をしているようだ。

ここは日本茶専門店「山田屋茶舗(やまだやちゃほ)」

かつて、炭鉱のまちとして栄えた大牟田。

炭鉱マンを支えたのは、甘いお菓子と日本茶だったという。

地域のニーズに応えるべく戦後間もなく開業してから80年、この土地でお茶を届けてきた。

4代目「アトツギ」になったのは
偶然か必然か

「お茶の本物の味を知ってもらいたい」

そう語るのは、現在、新栄町店の店長である山田 真衣(やまだ まい)さん。

もともとは保育士だった真衣さんは、腰を痛めたことをきっかけに、家業を手伝い始めた。

「手伝い始めて半年のうちに、新栄町店のスタッフが辞めることなって。父から『お前しかいない』って託されて店長になったのが10年前、24歳のときでした」

店長になったことをきっかけに家業を継ぐことも考えるようになった。

「アトツギ」とは、先代から受け継いだ有形無形の経営資源や伝統を活かし、新規事業、業態転換、新市場開拓など新たな領域に挑戦する後継者及び後継予定者等を指す言葉と定義されているそうだ。

出典:アトツギ (METI/経済産業省)

「正直、もともとは継ぐつもりなんてなかったんです。偶然でしたけど、もしかしたら必然だったのかもしれないですね」

守り続けるために、変わらないといけない

「今はもう急須を置いていない家庭が圧倒的に多いんですよね」

真衣さん自身も、同世代から日本茶専門店は敷居が高いという声を聞いてきたそう。

地域密着・お客様一人ひとりに寄り添うという先代から受け継いだ理念は変わらない。

一方で、お茶に馴染みのない若い人にも入りやすい専門店を目指し、まちの活性につながるマルシェの開催や新商品開発など、攻めの姿勢で新しい挑戦を続ける。

「継承って、バトンタッチされて終わりじゃないんです。山田屋の軸を守り続けるために、私が、お店と一緒に変わり続けないといけない」

80年続く専門店の軸を受け継ぎながら、時代に合わせて変化していく。

発想はお客さんの声と“まち”から

新しい挑戦の種はどこから生まれるのか。

「まずはお客さんの声を拾っていくこと。そうして、商品が出来上がって、お客さんが手に取る。そこから大事なのが、手にとったお客さんがさらに誰かに贈りたくなっちゃう、みたいなところ」

新商品の「まい茶ん」には、5種類のフレーバーがある。

一つひとつのフレーバーは、保育士時代に聞いた園児のお母さんの「妊娠中はお茶が飲めない」という声や、お客さんから寄せられる花粉症や冷え性の悩みに寄り添うようにつくられた。

「お客さんからその先に渡ったときに嬉しかったり、ほっとしてもらえるものにしたくて。一人からどんどん広がっていくことをイメージしながらつくってます」

ほかにも、大牟田で起こった水害やコロナ禍の影響もあり、お客さんの足が遠のいたときには、大牟田の一大行事「おおむた『大蛇山』まつり」の大蛇山をモチーフにした大判焼きの開発も行った。

生地には、大判焼き用にブレンドした抹茶を使い、それに合う北海道の小豆を使った餡もこだわりだ。

「お茶屋にしかつくれないお茶の大判焼きにこだわって」

お茶を買いに来るのとは違った体験で、お店と地域をつないでくれるものになった。

お客さんの声や“まち”の変化に応えるように、新しいものを生み出し続けている。

100年目も「心温まる」このまちで

大牟田生まれ大牟田育ちの真衣さん。

保育士になるときも、自身が小さい頃に通っていた保育園へ就職。

家業関係なく、大牟田を出ることはなかった。

「大牟田っていいなって、いつも思うんですよね。周りには大牟田を出る子も多かったんですけど、やっぱり大牟田を出なくてよかったなって思ってます」

なにが真衣さんの大牟田愛をつくっているのだろう。

「親切で、困ったら助けてくれる人がたくさんいる——一言でいうと『心温まるまち』」

「心温まるまち」——真衣さんがそう呼ぶ大牟田で、受け継いだのは店だけじゃない。

お客さん一人ひとりに寄り添う心、地域に根ざした温かな関係性。

先代から受け継いだ大切なものを守りながら、挑戦を続けていく。

90年、100年と続く未来を見据えて——

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