ひらめきとトキメキを大切に進んでみる。ダメだったら、違う道を選べばいいだけ。 会社員から、カフェオーナーへ。届けるのは「癒しの空間」

大牟田市役所の裏側には、通る人が思わず引き込まれてしまう、小さなカフェがある。

道路に面した大きな窓が、春の陽の光をめいっぱい受け止めている。

まちの人から愛されるここは@KIMMY’S COFFEE(アットマークキミーズコーヒー)。

「こんにちは〜」

陽の光が溢れる店内からでてきてくれたのは、カフェのオーナーである龍 明美(りゅう あけみ)さん。

まちの人からは、キミーさんの愛称で親しまれている。

安心感のある落ち着いた雰囲気をまといながらも、笑顔で明るいお人柄。

お店はいつも年代を問わないお客様で溢れている。

「起業したのは29歳のときでした。コーヒー屋さんをつくろうって思ってから、居心地がいい、癒しの空間っていうのを一番大事にしています。」

白を基調とした店内や、ところどころに置かれている植物はキミーさんのこだわりポイント。

もともと、コーヒーは日常のなかの癒しを与えてくれる存在で、その道に進もうとは思っていなかったそう。

「学生時代に好きになったコーヒーは、社会人になってからは趣味になって。自分で豆を買って家でいれたり、仕事の合間にも、同僚にコーヒーをいれたりして。仕事と癒しのコーヒーは別のものでしたね。」

会社員時代は、家電店の販売員としてキャリアを積み上げていたキミーさん。

「スキルアップすることをゲーム感覚で楽しんで、上を目指していました。社内の『目指せ、最年少の女性店長!』という空気にのせられてました(笑)。」

仕事に向き合って、自身の成績に繋がって、周りも喜んでくれる。

そんな好循環を楽しんでいた一方、競争社会のなかで自身を追い詰めていた局面もあったと振り返る。

「ちょっと暗い話なんですけど。」

コーヒー屋を志すまでの経緯を聞くなかで、いつもと違った表情で、そう語り始めてくれた。

「仕事中に倒れて、救急車で運ばれたことがあったんです。多分、精神的な面で常に追い詰められていて、ギリギリの状態がパチンと弾けた瞬間があって、職場で過呼吸が止まらなくなったんです。」

この出来事が、コーヒー屋の道へ進む大きな転機になる。

「仕事もすごく苦しい時期で、過呼吸になったときに、息ができなくて苦しいっていうのが、気持ちいいに変わったタイミングがあったんです。白い光に包まれて、『あ、もう呼吸しなくていいや』って。」

意識が遠のくなか、聞こえたのは耳元で叫ぶ母の声だった。

『あんた、先にいったらダメよ!』

「あ、私まだ生きないといけないんだって、グッと引き戻されたんです。現実に戻されたときに、お母さんに『そこまでして、やる仕事なの?』って言われて。自分の体をここまで苦しめてまで、自分を承認してくれるこの場所に執着してたんだって気づいたんです。」

「苦しい思いをしてまで、この仕事を続けるんじゃなくて、自分の人生を歩もうって思えるようになりました。」

このときを、“生まれ変わった瞬間”だったと振り返るキミーさん。

「それまでは誰かのためにって、すごく尽くしていたんです。今も変わらないところはあるけど、まず自分を一番においてって思えるようになったきっかけで。自分はもう生まれ変わったんだ、じゃあこれからは自分の好きを追求しようって思って、私はコーヒーが好きだよなっていう流れでした。」

コーヒー自体が好きだったのはいうまでもないが、お気に入りのカフェで一息つく瞬間にとても救われていたそう。

「その時間は癒しというか、充電時間だったんです。」

コーヒーという好きなことを追求しながら、そんな時間を過ごせる癒しの空間をつくることが、キミーさんの新しい目標になった。

「決めてからはもうすごく早いんですよね。思い立ったが吉日っていう言葉のもとに生きてるぐらい(笑)。」

まずはカフェのまちで名高いオーストラリアのメルボルンで働くことを目標に、語学学習や東京・横浜のカフェでバリスタとしての経験を積んだ。

その後、メルボルンのカフェで働くことを叶え、2年間のバリスタ経験をへて、自分のお店を開くために地元・大牟田へ戻ってきた。

「コーヒーをいれたいなら、福岡市内でも東京でも選択肢はあったと思うんです。でも、癒しの空間をつくりたいってなると、そんなに急いでコーヒーをいれたくない。なにより一番は、自分の幸せというか、とにかく何にも追われたくないっていうのがあって、大牟田がちょうどよかったんです。」

コーヒーは、たくさんいれることが目的ではなく、癒しの空間をつくるための手段だった。

そして、大切にしたい自分の生き方の選択として、大牟田があった。

ところが、帰国して間もなく、コロナ禍に入ってしまう。

「感染者が増えてて、どうなるんだろうって思いながら、とりあえず今できることをやろうって思って、お店のモチーフや器材、場所や営業時間とか、ひとつひとつのハードルを飛び越えながら進んで行きました。」

未曾有の事態でも、お店の準備を進め続けていた。

しかし、そんなお店に追い打ちをかけるように、九州豪雨によって大牟田市内は大きな被害を受けることになる。

「お店の工事は中断して、まずはまちの人がもとの生活に戻れるまで、自分たちにできることをやろうって、シフトチェンジしました。」

復興のボランティアに参加したり、チャリティーコーヒーのイベントを企画した。

当時、お店の物件をすでに契約しており、家賃だけでなく、光熱費も発生していた。

「焦りました。どんどんお金もなくなっていくし、どうしようって。」

そんな動揺とどう向き合っていたのだろう。

「焦るけど、なるようにしかならないから。ここでお店を開けたとしても、うまくいかないだろうなって。考えても仕方がないこともあるから、自分がやってることを信じつつ、そのときに自分にできることを全力でやる、みたいな気持ちでした。」

お店のオープンは、当初の予定より2ヶ月遅れた。

「その2ヶ月は長く感じましたね。けど、その間にご縁のあった方が今でも繋がっていたりとかして。踏みとどまった期間があったからこそ、考え直せたこともあったし。時間をちょっとおきなさいってことだったんだろうなって思ってます。」

そうしてお店を開いて5年目を迎える。

会社を辞めること、コーヒーを学ぶこと、海外へ行くこと、お店を開くこと。

さまざまな決断を繰り返しているキミーさんを突き動かしているものはなんなんだろう。

「これだ!って思ったからには、ちょっと進んでみよう!みたいな。ひらめきとトキメキを大事にしてるんです。」

ひらめきとトキメキ。

その軽快なリズムを帯びた可愛らしい言葉は、キミーさんにぴったりだ。

「進んでみて、ダメだったら別の道を選べばいいし。違ったときは、違うということを経験するために、このひらめきがあったんだな〜って思うんです。」

そのときの感情を大切に進み続ける@KIMMY’S COFFEEのこれからを聞いた。

「今いる現実から抜け出したいけどできないっていう人の、一歩踏み出すお手伝いができたら嬉しくて。頑張りたいって思う人の背中を押してあげたいなって思ってますね。」

言葉を紡ぎながら、これまで背中を押してきた方々の顔が浮かんでいるのだろう。

お店の扉をくぐったお客さん、一人ひとりと向き合っているキミーさんだからこそできること。

「みんなが幸せになる、生きやすくなることのお手伝いができたらなって。誰かの生活の一部に携われているだけでも幸せなので。この空間を届け続けていくのみ、かな。」

お店の扉をくぐると、いつも違う景色がある。

窓から射す陽の光を浴びながら、新聞を片手にコーヒーを飲むおじいちゃん。

「来月でしたっけ?もうすぐですね。」と声をかけられている妊婦さん。

お店の真ん中のテーブルでいたずらっぽく笑う子供。その横に「またこぼした!」と、やれやれ顔のお母さん。

毎日、誰かの生活の一部が@KIMMY’S COFFEEにある。

「ここに来ると元気になるんですよね。」

「この場所が、心の支えなんです。」

「あ〜また頑張れるって思える。」

お客さんからでてきた心地よい言葉たち。

4年かけて、つくりあげられてきたこの空間が、そんな気持ちにさせているのだろう。

ひらめきとトキメキと一緒に、この先もお店は進んでいく。

今日も誰かの、癒しになるように。

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