自分たちのまちは自分たちでつくる! 故郷を離れる春。まちづくりは、きっと中からだけじゃない

銀座通り商店街を越えて、しばらく歩いた先。

道路を挟んだ向かい側に、温かみのあるオレンジ色のライトを灯した目を引く建物がある。

gosenfu(ごせんふ)と呼ばれるこのお店。

店舗型マルシェをテーマとして、コラボカフェ&バー、イベント、レンタルキッチンなど、さまざまな用途で活用されている。

「緊張してます。でも、私らしく話せたらいいなと思ってます。」

そういって迎えてくれたのは、紫牟田(しむた)あいらさん。

自然な笑顔が印象的な彼女は、新卒で大牟田ビンテージのまち株式会社に入社し、今では大牟田のまちづくりを進める若者の一人。

中学生の頃から、将来は大牟田で働くんだろうとなんとなく感じていながらも、「大牟田で何がしたいか」の答えがでないままだったそう。

「高校三年生のときに進路が決まらなくて。文系だったんですけど、経済学部や文学部、法学部みたいなのに入っているイメージが湧かなかったんです。」

そんななか見つけたのが、佐賀大学の芸術地域デザイン学部だった。

「まだ卒業生もでていない新しい学部だったんですけど、ここだ!って思いました。工作好きだし、大牟田っていう地域で働きたいと思ってるし、ってビビッときて(笑)基本的に直感型なんですよね。」

芸術やデザインを通して社会課題を解決することをテーマとした学部だった。

実際に地域に入り、地域のお困りごとを、地域の人と一緒に解決していく活動をしていた。

ところが、在学中にコロナ禍となり、授業がオンラインとなったため大牟田へ戻ってきた紫牟田さん。

就職先として大牟田市役所を検討していたが、コロナの影響でインターンシップの受け入れがなかった。

他のインターンシップ先を探していたところ、市役所の隣の大牟田商工会議所で受け入れてもらえることになったそう。

「1週間かけて、大牟田のまちを連れ回してもらって。そしたら『あいらちゃん、大牟田のこと全然知らんね。』って言われたんです。心にグサッときて、でも実際そうだったんですよね。」

高校卒業までは大牟田で暮らしていたものの、家・学校・塾・ショッピングモールの範囲内で生活が成り立っており、まちで何が起こっているか知らなかったことに気づいたそう。

『大牟田のこと全然知らんね。』

この言葉が、大きな転機になった。

「大学で学んだことを活かしたい気持ちもあって、『大牟田・まちづくり・企業』で検索したら、『大牟田ビンテージのまち株式会社』がヒットして。」

「もう、絶対ここや!って思いました(笑)」

会社の採用情報はなかったものの、それでは諦めがつかず、社長の冨山さんに会える機会を探した。

「会ってみて、聞いてみないと自分が納得できなかったんです。そしたら、グリーンバードっていう清掃活動を冨山さんがやっていることがわかって。一番早い日程で申し込みました。」

「グリーンバードに参加したら、冨山さんっぽい人がいて。話しかけにいって、社員募集について聞いてみたら、『まずはバイトからどう?』って誘ってもらえたんです。」

複数の飲食店を運営している大牟田ビンテージのまち株式会社。

単に店舗でのバイトという形ではなく、冨山さんの近くでリアルに働くことを体験させてもらったそう。

1年間、インターンシップのようなかたちで働き、そのまま入社を決めた。

「1年間で、まちでワンチームなんだなっていうことを感じられていたので、全然不安はなかったですね。」

まちでワンチーム、ってどういう状態なんだろう。

「大牟田って、まち全体で『ワンチーム』って感じがするんです。行政も民間も『大牟田、良くなっていったらいいよね』っていう同じゴールを共有しながら、違うアプローチでそれぞれ頑張ってる。それをみて、一緒に頑張りたいなって思うんです。」

そう大牟田愛を伝えてくれた紫牟田さんは、仕事だけでなく、まちなかを舞台に若者がやりたいことを実現するコミュニティ「大牟田わかもの会議」や、大牟田市総合計画審議会などに市民公募委員として参画するなど、幅広くまちのことに携わっている。

仕事とプライベートの境界を線で引かず、グラデーションのように、まちづくりに関わることが、彼女が輝ける生き方なのかもしれない。

「大切にしている言葉があって、『自分たちのまちは自分たちでつくろう』って心に留めてるんです。誰かに対して『やってくれない』じゃなくて、自分がこういうのがあったらいいな、って思ったら自分で動くようにしてます。」

自分たちのまちは自分たちでつくる。

そもそも、まちづくりってどうやったらできるのだろう?

「『まちづくり』って、なんだか敷居が高いイメージがあるんですけど、小さなことがまちづくりになっていると思うんです。」

例えば、駅前に落ちているゴミを拾うだけでも、きれいな駅前づくりができる。

「自分がまちづくりしてるって思えたら、もうそれは『まちづくり』なんだと思います。」

優しい笑顔でそう伝えてくれた。

『ワンチーム』の大牟田は、これからどんな風になっていくのだろう?

「商業施設があるとか、娯楽が豊富とか、都会とまったく同じことはしなくてよくて。欲しいものは自分たちでつくって、そのつくるプロセスまで楽しめたら、都市とは違う豊かな暮らしができるんじゃないかなって思ってます。」

大牟田に欠かせない存在となっている紫牟田さんだが、ライフステージの変化があり、この春に大牟田を離れ、関東へ移ることになるそう。

「自分のふるさとがなくなるのが一番嫌なんです。いつかは絶対に戻ってくるので、都会でスキルをつけたいと思ってます。」

芯のある言葉で、しっかりと伝えてくれた。

「私はこれまでまちを盛り上げるための直接的な活動をしてきて。そういう仕事だから大牟田に住みつづけられたけど、そうじゃなくて離れてしまった人もいると思うんです。」

少し痛みも感じるような、胸の内を話してくれた。

「大牟田を好きな人が大牟田に住みつづけられる状態になればいいなって。多くの人にとって大牟田に暮らすという選択肢が増えることが、私の夢です。」

そんな紫牟田さん、これからの大牟田への関わり方についてどう考えているのだろうか?

「想いのある人が外側から応援して、支えていけるような仕組みができたら、私の好きなまちは残り続けていくのかなって思ってるんです。まだ具体的に何をしようか決まっているわけじゃないんですけど、やっぱり離れても大牟田に関わっていたいですね。」

その地域に住んで活動をすることが、まちづくりのかたちとは限らない。

「本当にめちゃくちゃ好きなまちなんです。私のアイデンティティだと思ってます。」

大牟田のまちづくりに関わって4年。

まちへの愛を膨らませながら、まちづくり企業の社員として、大牟田の市民として、活動を続けてきた。

勤める企業が変わっても、市民でなくても、変わらない残し続けたいまち。

誰とでも優しく交じり合えるその人柄と、芯をもって行動できるその姿勢で、きっとこれまでとは違ったやり方で、新しい風を大牟田に運んでくれるだろう。

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