「大牟田に人生を捧げた男」の本心 ―鹿児島から大牟田へ。若者の力で描くまちの未来

秋風が吹き抜ける11月のある日、元美容室をリノベーションしたオフィスを訪ねました。

「大牟田に人生を捧げた男」。

そう名刺に記した有馬辰紀さんは、穏やかな表情で迎えてくれました。

鹿児島から大牟田へ。「大牟田わかもの会議」の代表として、若者たちと共に街づくりに取り組む有馬さんのお話を聞いてみました。

「27歳までは鹿児島にいたんです」

36歳の有馬さんは、人材マネジメントの仕事を営んでいる。店舗ビジネスの人材育成や、広告デザインなど、幅広い分野で活動する。

大牟田に来たのは9年前。結婚を控えた時期だった。「母の故郷が大牟田で、母方の祖父母に挨拶をしに来たんです。その時に名物の高専ダゴというお好み焼き屋さんに行って。店を出た瞬間に『住みたい』ってビビッときて」

それまでの27年間を過ごした鹿児島。

実は、地元での生活に少し違和感も抱えていた。

「父がまちづくりをしながら事業もしていて、弟はバレーボール選手として活躍していて。僕を名前で呼んでくれる人はほとんどいなかったんです」

父親の息子さん、弟のお兄ちゃんと呼ばれることが多く、そこにモヤモヤを感じていたという。

「久しぶりに会った祖父母や近所のお兄ちゃん、おばあちゃんが、僕の名前で呼んでくれて。そういうのも影響していたのかもしれません」

妻には最初、冗談だと思われたという。 「でも、どんどん細かいプランを出していって。こういうモデルでどう?こんな生き方は?って。徐々に理解してもらえました」

まちづくりに関わるようになったのは、意外にも最近のこと。

「コロナ禍で在宅になるまでは、月に5、6日しか大牟田にいない出張族だったんです」 在宅勤務が続いた1年間で、初めて大牟田をじっくり見つめる機会を得た。

きっかけは、家の近くの線路沿いに生えた雑草だった。

「誰かが取ればいいのにって思っていた。でも1年経っても変わらなくて。そこで他責思考だなと気づいて」 市役所に相談し、自らボランティア袋を手に作業を始めた。

「1年間ずっと課題だと捉えていたものが、自分で動けば2日で実現できる。その実体験から、もっとまちのために何かできることがあるんじゃないかって」

現在、代表を務める「大牟田わかもの会議」は、10代から30代までの若者が中心市街地の賑わい創出を目指す組織だ。 「会議だけで終わらせず、きちんと街にアウトプットして実行するところまでをセットにしています」

大牟田市役所の松尾ひとみさんは、有馬さんについてこう評する。

「人柄がすごく柔らかいのに、情熱のある方。みんなで何かをする前に、まず自分でやってみる。その姿勢が素晴らしいんです」

行動力の源は、意外にも「知り合いがいなかったこと」だったという。

「誰も知らなかったからこそ、恥ずかしいとか、どう見られるかとか考えずに、自由に動けた」

今ではまちづくりの様々なプロジェクトが進行している。 空き家のDIYによる再生や、街全体をテーマパークに見立てた取り組みなど、ユニークな発想で街に新しい風を吹き込んでいる。

「自分のやりたいことをやらせてもらっているだけなんです。それが結果としてまちづくりになっている。大牟田は好奇心を受け入れてくれる。」と笑う。

今、有馬さんが最もワクワクするのは、周りの変化だという。

「高校生や社会人、起業された方から『こんなことをしたい』という連絡が来るんです。自分発信じゃなくて、街のいろんな人たちが新しいアクションを起こしている。それを見るのが本当に楽しい」

夢を聞くと、未来を見据えた答えが返ってきた。

「自分が好きで住みたいと思って来たまちだから、より多くの人にその選択をしてもらいたい。特に高校生たちに、この街で将来を過ごすという選択肢があることを伝えていきたいんです」

リノベーションされた風情あるオフィスで、有馬さんは穏やかな表情で未来を語り続けた。

名刺の「大牟田に人生を捧げた男」という言葉は、決して大げさな表現ではないのかもしれない。

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