【OFF TOKYOな生き方】OFF TOKYOから探るこれからの生き方、働き方

本セッションでは、地域行政で活躍されている2名のゲストをお招きし、現在の地域の問題、実践的な取り組み、国と地方の関係や今後の可能性を語っていただきました。

※本記事は、2025年3月7日に開催されたOFF TOKYO開業記念レセプション「東京にこだわらない生き方を、すべての人へ」のトークセッションVol.3の内容をレポートにしております。発言内容や情報は、取材当時の情報に基づいています。

ファシリテーター小松 洋介(以下、小松):第3部のトークセッションは「さまざまなOFF TOKYOから探るこれからの生き方、働き方」ということで、かなり大きなテーマでお話をさせていただきます。

小松 洋介 一般社団法人VENTURE FOR JAPAN 代表理事

1982年、仙台市生まれ。2005年4月(株)リクルート入社。2011年9月に同社を退職し、東日本大震災の被災地 宮城県女川町に入り、NPO法人アスヘノキボウを設立、代表理事。起業支援、経営支援、関係人口創出・移住促進、地域課題分析データ事業、予防医療事業など行う。現在は「起業家志望の新卒・第二新卒が地方企業の事業責任者として就職する」人材紹介サービスを行う、一般社団法人VENTURE FOR JAPANを設立し、代表理事。

それぞれの地域との関わりかた

日野 昌暢(以下、日野):こんばんは。僕は博報堂ケトルという広告系の会社で企画・プロデュースをやっています。会社自体は、テレビCMで見るような大きい会社のプロモーションをやっている仲間が多いんですが、僕はその中で、地域活性系のことを中心にやっております。後輩からは、「ローカルおじさん」と呼ばれてたりします(笑)。

日野 昌暢 株式会社博報堂ケトル チーフプロデューサー/九州発Webメディア「クオリティーズ」編集長

何が社会を良くするのか?を考えるデザイン発想で、「本質的な地域活性」をテーマに”外から目線”で地域資産を再編集し、地域のプレイヤーの”関わりしろ”を作りながら、事業、プロジェクト、プロダクトを共創で開発して、情報発信するまでを得意とする通称”ローカルおじさん”。2020年には九州発Webメディア Qualities(クオリティーズ)を企画プロデュースし、創刊編集長。

月の半分くらいは東京じゃない場所にいて、その地域を本質的に活性化するためにはどうしたらいいか、を考えています。

地域には良いものがいっぱいあるのに知られていない、とよくいうじゃないですか。だから、良いものがもっと知られたり、買ってもらえたり、その土地に行きたくなったりするような状態を目指してプロデュースをやっています。

あとは、九州発Webメディア「クオリティーズ」を5年前に立ち上げました。みなさんがスマホで見るいろんな情報って、ほとんど東京のメディアが作ってると思うんですよ。一方、ローカルで頑張っている人たちの情報って、結構SNSに依存していて、それを外からの取材でちゃんと発信できているメディアが非常に少ないんです。なぜならばそれは全然儲からないからなんですけど。でもそれを誰かがやらないと、地域で頑張っていることが全然可視化されないじゃないかと思っていて。だから僕は、いろんなキャッシュポイントを作りながら、九州で面白いことやっている人たちのことを取材して記事にするwebメディアをやってるんです。

小松:みなさんクオリティーズご覧になったことありますか。本当に一つ一つ丁寧に作られているんですよ。

日野:めちゃくちゃ真面目に作っています。こんなにやらなくていいんじゃないかっていうぐらいしっかり取材して書いてるんですけど、そういう記事ってたくさんは読まれない。ただ、1000PVってwebメディアの世界で言うと「読まれてない」けど、いい記事を1000人が真剣に読んでたら、なんかすごくないですかっていう考え方でやっています。

小松:ちなみに、取材している方々はどうやって発掘してるんですか?

日野:ひとつは、「この人に情報を伝えたらどうにかなるかもしれない」って、みんなが僕に情報をくれるようになるんです、あとは、仲間になっていただいている九州各県ライターさんのアンテナだったり、僕自身のアンテナももちろんあります。

三浦 孝文(以下、三浦):ノンピの三浦と申します。ノンピという会社は、社食とかケータリングの事業をやっているスタートアップです。実は、オイシックス・ラ・大地という生鮮食品宅配の事業を手掛ける会社から出向というかたちです。もとは人事の採用、成長支援や経営企画の責任者をやっていたところから、今はノンピで取締役をやっています。

三浦 孝文 株式会社ノンピ/取締役 経営企画 オイシックス・ラ・大地株式会社より出向

(株)D2C、クックパッド(株)を経て、2017年よりオイシックス・ラ・大地(株)。人事や経営企画の部長を経て、2024年2月から(株)ノンピへ出向し現職。複業で(株)GlocalK 組織経営アドバイザリーを務め、社外では2,000人を超える人事コミュニティ「人事ごった煮会」や福岡九州のコーポレート領域の人材が集う一般社団法人「越境キャリア」のを立ち上げ。

東京の会社だけれども、普段は福岡に住みながら月の6,7日ぐらいは東京に来るという生活を3年ぐらいやっています。

加えて、福岡で一般社団法人越境キャリアという団体を立ち上げています。福岡で、多くの起業家、経営者の方とお会いしていると、本当に魅力的で個性のある、素晴らしい人が多いんです。一方、その人たちの右腕となるような人材の発掘が追いついていないということも感じています。だったら、そういう人たちが横串で出会って、越境することで創発しあう、という場を作れないかと思い、越境キャリアを立ち上げたんです。

小松:越境キャリアは、今はどういう方々が集まっていて、どれぐらいのコミュニティになっているんですか。

三浦:事務局は8名でやってまして、参加している人は、完全招待制で集めていますが、インフラの大きい会社や福岡のスタートアップの方など、本当にさまざまですね。ただ共通点としては、人事、経営企画、広報、総務、財務経理などのコーポレート領域に属する人たちが在籍しています。勉強会や交流の場をつくったりしています。

地域のなかで働くということ

小松:日野さんは東京にいながらも全国を転々とされているという感じなんですか。

日野:そうですね。東北だったり広島だったり九州だったり、いろんなところと関わってます。東京以外のところに行く時間が月の半分を超えてしまうと、家族とのバランスが取れなくなるんで、半分で止めるようにはしてます。

小松:1ヶ月の半分はそういう全国のいろんな地域に行かれて、具体的にどんなことをされてるんですか。

日野:広島でいうと、「牡蠣食う研」という観光キャンペーンみたいなことを5年間ぐらい続けてます。広島では、お好み焼きが800円くらいで食べられるんですよ。しかも、めちゃくちゃお腹いっぱいになる。だからお好み焼きを食べてそのままみんな帰っちゃうんですけど、それではもったいないから。みんなが大好きな牡蠣を、もっと観光に活かそうよっていうのを打ち出していたりとか。

東北で言うと、岩手で廃校になった学校を面白いまちにしていこうという動きがあるんで、そこに入って一緒に走らせていただいたり。九州だったらwebメディアやってるし、雲仙市で観光のムービー作りましょうとか、本当にさまざまなことをやってます。

小松:そういうことって、地域にしっかり入り込んでいかないと、いいもの作れないじゃないですか。

日野:はじめの自己紹介で僕が「広告会社」って言ったときに「出たよ、、、」みたいな(笑)思ってた方いると思うんですよ。

実際に、広告会社が地域の行政の方々が準備した予算を使って、なんか面白い動画作ってみたり、謎のB級グルメが生まれてきたりして、それが本質的に地域を活性化させるのかっていったら、みんながやっぱ疑問に感じてるわけですよ。その空気は10年前くらいから感じてきてます。

でも僕は広告会社で働いてきて、やっぱり「人に伝わる」ということをすごく考えてきたこの力を、正しく地域の気持ちと掛け合わせれば、絶対に役に立つと思ってるんです。

地域の方々と結構しっかり話していくと、気を許してもらえたりして、僕はそこに向き合いながら、みなさんが何をやりたいと思ってるかを聞いて、それがいい形になるようにプロデュースしていくということは心がけてますね。

「人間関係をつくる」がまずないと、どこかで面白いことをかましても、一瞬で終わるんで。僕は、最初はみんなと一緒に走って、そのあとみんながいい感じで走り始めたら、「よしっ」ていって離れた方がいいと思っているんです。みんなが自分でできるようになったら、それが一番じゃないですか。そういうスタンスですね。

もちろんその後も関係人口として、遊びに行きますね。みんなが元気でやってたら「良き良き」と思ってます(笑)

小松:三浦さんは、東京から福岡への地方移住というのはどんな経緯があったのですか。

三浦:もともと東京は丸12年ぐらいいて、ずっと仕事漬けの生活をしていたんです。あるとき、自分自身や家族にいろんな変化があったときに、自分がいる場所を考えさせられることがあって。自分自身は東京でやってきて、正直どこでもやっていけるなという自信を得てきていて、でも家族って自分しかいないっていうなかで、場所を変えてもいいんじゃないかなと。私が大分出身で、妻が佐賀の方の出身だったということや、福岡は自分がいた領域が盛り上がっていたということもあって、辞めることを先に決めて会社に話したんです。上司やこれまで関わった人事や経営企画の取締役に言ったら、「辞めずに、そのまま戻ったらいいんじゃない?」って言ってもらったんです。オイシックスって生鮮食品宅配って現場のある会社なので、自分もちょっと予期してなかった提案だったんですね。経営会議の事務局もやってたので、福岡に自分だけいて、経営陣みんな東京にいるのって成り立つんだろうかと思ったんですけど、「そういう風に言ってもらえたのならやるしかない」と思って、今そういう働き方させてもらっています。

小松:実際、東京と福岡で離れて仕事をされてみて、どうでしたか。

三浦:正直めちゃくちゃ苦労してて。例えば、東京にいたときは、経営会議があると終わった瞬間に、取締役とか役員とかとエレベータートークのようなことができてたわけです。福岡だと、その代わりに役員の人たちにSlackとかするんですよ。ただ、役員も忙しいから正直そこですぐ返ってはこないんですよ。そうするとタイムラグが生まれちゃうんですよね。現場でも、会議が終わった後の温度感とかが分からないシーンはちょこちょこあって。そこを月に何日か来て補完しようとしたんですけど、それは東京時代の貯金があることによって、なんとか2年ぐらいできてたっていう感じですね。

直接まわりから何かを言われることはなかったんですけど、この生活が入社して1-2年目でできたかっていうと難しかったと思いますね。貯金と自分の諸々の工夫でなんとかやってたなという感じです。

小松:どんな工夫をされてたんですか。

三浦:シンプルですけど、僕が経営企画ということもあって、2ヶ月先くらいまでホテル、飛行機は全部抑えてしまって。いつ自分が東京来る、会議もいつやるか、その時期の役員や直属の人たちのスケジュールを抑えて、全部見える化しておく。Slackもちょっと気になることあったら自分から全部声かけて、やりとりもなるべくテキストではなく直接話すようにする、とかは自分なりに工夫してましたね。

小松:仕事の働き方というところもありつつ、さらに併せて福岡という地域に入り込む必要もあったと思います。その辺りは、どう考えて動かれてましたか。

三浦:もともと福岡は友達もいたっていうのもあって、帰省のとき行く機会はあったんですよね。そのなかで知り合いが声をかけてくれてお仕事する機会があったり、その会社を手伝い始めたときに、さらに福岡の人と出会ったり。あとXでも、福岡のスタートアップの人が発信してたりするので、そういう方々と出会っていくとまたそこがさらに広がっていくみたいなことが起こってましたね。

そういう人と出会っていくと、なんとなく課題の輪郭が見えてきて。自分もせっかく福岡にいるので、地域でもなんかできないかなと思ったときに、見えた課題感に対して、自分が協力できるところがあった、そんな感じです。

小松:福岡の方々のその気質というかそこがすごくハマったという感じですか。

三浦:福岡って面白くて、程よい距離感をみんながもってくれてるんですよ。おせっかいな人が多いけど、めちゃめちゃ突っ込んでくるわけでもないみたいな。僕にとっては、すごい気持ちいい温度感だったんですよね。それから、福岡は「家族いるんで、10時に帰ります。」みたいなのが全然許容される感じがあるんですよね(笑)家庭と仕事のバランスみたいなのがちょっと取れていったというのも、気持ちよさとして広がって、さらに自分自身も広げていこうと思えた部分でしたね。

あとは、流動性って大事だと思います。昔からいる人しかいないところに、ひとり飛び込んでいくって結構大変なんですけど、僕と同じような人が結構いるんですよね。昔からいる人と最近きた人が、程よく混りあってる感じはありますね。

小松:その混ざり合いって、自然と生まれているものなんですかね。

日野:港町の方が混ざり合いますね。単純に言うと、城下町はちょっと排他的なんですよ。港町は外から来るのがやっぱり当たり前で、それに慣れてる気質を福岡もすごく感じますね。

三浦:福岡は大学もあって、これは4年間で流動的に入れ替わっていくので、若い人がいて流動性があるというところは、さきほどの気質につながるのかなと思います。

関係人口の輪を広げるために、人と地域に必要なこと

小松:関係人口というワードも前に出ましたが、「いろんな地域に関わっていきたい」という人はどういう要素があると関係人口になれるんですかね。

日野:実は、受け入れ側のスタンスの方が大事なのかもしれないですね。関係人口を受け止めて、それを然るべき地域のプレイヤーにつなぎ込んでいく関係案内所的な役割をする人ですよね。関わりたいと思っている人たちは山ほどいるんです。でも、どうやって関わっていいか分からないっていう人と、地元で外の知恵が欲しい・誰か関わってほしいと思っている人をマッチングする間の人っていうのが必要なんですよね。

もちろん関わる本人も、よくローカルで言われる「東京風吹かせやがって…」みたいな人は論外ですよ。地域には文化や慣習があるから、培われてこられたものへリスペクトを示すということはすごく大事だし。でもリスペクトだけしてるとうまく掛け算は生まれてこないので、リスペクトをベースにしながらちゃんと対話ができる人である必要はありますよね。両方の度量は必要ですね。

小松:この地域は受け皿としてすごく良かった、面白かったという場所があればお伺いしたいです。

日野:「大丈夫なとこほどダメ」っていうのはありますね。その地域が困ってないと、外の力ってうまく使えないんですよね。「俺たち、困ってないから」みたいな豊かさが残っているところは社会構造があって、関係人口的な人が来ても雑音になる場合が多いわけですよ。本当に困ってるっていうところは、「うちに来てくれて、ありがとうございます。」と素直に話を聞いてくれたりするところがあるんで。

ただ、今すごく困ってるところはたくさんあるからそこはやっぱり外の人を受け入れながら、関わる人は地域の人たちをリスペクトしてやっていくっていうバランスが取れるといいですよね。

困ってるところほど、プレイヤーの関わりしろは多くて。そして、関わりしろが多いところほど面白いチャレンジが生まれて形になる、それが魅力になって人を引き寄せてくるっていう循環が起こるんですよ。困ってるところほどチャンスなんですね。

小松:三浦さんは移住を実際にされたわけですが、こうやるとうまくいくんじゃないかというポイントがあれば、お話いただると嬉しいです。

三浦:先ほどのリスペクトの話にも近いですが、その地域の持ってる文脈や、成り立ち、史跡、名所など、その町自体を自分なりに知っていくことは大事だと思っていて。福岡、天神、博多の使い分けとか、地名にしても、中のことをちゃんと掘り下げて知っていくようにする。そうすることで、その町の人と話したときに、ちゃんと知ろうとしてくれてるんだと伝わるので。こういった文脈をちゃんと理解していくってことなんじゃないかなと思いますね。

OFF TOKYOとは

小松:最後に、お二人にとっての「OFF TOKYOとは」をお話いただければと思っています。

日野:「正しいも大事だが、楽しいはもっと大事」何が正しいかをみんなで一生懸命考えることは大事なんですけど。いろんな地域活性に関わっていて、うまくいくのは、やってる人たちが楽しくてやってる。これに勝るものはないなと思っているんです。それがいろんなことを突破していくなと思うので、仲間を作りながら、ビジョンを掲げて同じ方向を向く、それをどう楽しくやっていくかっていうのが僕は大事だなと思います。

三浦:「越境の場」自分自身は大分出身で、大学で関西、社会人になってから東京で12年いて、そして今福岡にいて。OFF TOKYOというテーマを聞いたときに、自分にとってこういう場をもつっていうことが自分自身の振り子みたいな感じなんだろうなと思ってます。いろんなところに行くことで、自分のものさしをずっと問われ続けてる気がしているんです。自分をアップデートし続ける、そのなかで今までの当たり前という考え方を壊していくという意味で、OFF TOKYOは「越境の場」だと感じてます。

本記事は、2025年3月7日に取材された内容をもとに構成されています。発言内容や情報は、取材当時の情報に基づいています。

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