社会性と経済性の両輪を大切に

社会性と経済性の両輪を大切に 人生の転機に寄り添う 移住コンシェルジュというしごと 

新潟県・三条市――。

東京から新幹線で約2時間。鍛冶技術の伝統を継ぐ金属加工を中心とした、ものづくりのまち三条市に移住し、きら星株式会社の燕三条オフィスで働く久田剛寛さん。

「きら星は一言で言うと移住支援をしている会社です。私自身も移住者として、これから移住を考えている方のサポートをしています」

そう教えてくれた久田さんは、ご自身も東京から燕三条への移住者だ。

燕三条駅から車で数分走ったところにある燕三条オフィス。

「妻が新潟県の魚沼市出身で、結婚した当初からゆくゆくは生まれ育った新潟に帰りたいという希望は聞いていました」

久田さんは、埼玉県熊谷市出身。大学進学をきっかけに東京へ移り住み、就職、結婚そして子宝にも恵まれ、順調に人生を歩んできました。

「東京って僕、今でも大好きな場所なんです。18歳で一人暮らしを始めたとき、大学でもバイト先でも、自分と同年代でもこんな価値観を持っている人間がいるんだとか。友達や仲間が増えて、視野がパッと広がったことは今でも覚えています」

充実した東京生活を楽しみながら、人材領域の会社で働いていた久田さん。移住を決断するまでには、さまざまな出来事があったそう。

「移住の決断としては、やっぱり子どもが生まれたことが大きかったかなと思っています。東京で子育てをしていると、電車移動であったり、公園でも自転車乗り入れ禁止とかボール遊び禁止、大声出すのも禁止みたいな看板が貼ってあるじゃないですか」

「そんな環境で、子どもに他人に迷惑かけないように制約をかけながら子育てをするというのが、僕が思い浮かべていた子育て像とか父親像とはだいぶかけ離れてきたんですよね」

具体的なきっかけとなったのは、2人目の子どもが生まれて引っ越したマンションでの出来事。

「お隣さんが名物クレーマーみたいなおじいちゃんで、子どもの足音がうるさいとか、昨日何時から何時まで何をしていたとか、毎日詰め寄られるようになったんです。家にいない時間の注意まで受けるようになって…」

「大人だけだったら対処できるんですけど、小さい子どもがいる状態だったので、このままここに住むのは心配だよねということで、引っ越してから半年も経たないうちに引っ越しました」

新潟県・三条市への移住。

それは何を得て、何を手放す選択だったんだろう。

「せっかく移住するんだから、広々とした環境や自然に触れられる環境、季節を感じられる環境を求めました。市街地より少し離れた下田(しただ)という山の方の地域に住んでいるんですけど、夏は窓を開けるとホタルがピューピュー飛んでいるような自然豊かなところです」

久田さんは現在、三条市の移住促進住宅で暮らしている。

「東京では家賃16、7万円払っていたんですけど、今は4万円。ものすごく広い家で畑も2つついて、車も4、5台停められます。東京でバリバリ夫婦で働いていた時に比べれば世帯年収は落ちていますが、物価も安いので、そこまで生活水準が落ちたという感覚はないんですよね」

そして、なにより大きかったのは子どもたちの変化だといいます。

「長男は東京では公共の場に行くのをすごく嫌がっていました。電車にも乗りたくないし、家に帰ると『走るな、騒ぐな』って注意されるから、保育園からの帰りも家に帰りたくないって泣いたりしていたんです」

「こっちに来ると、公共の場でワーワー騒いでも、近所のおじいちゃんが『元気があっていいな』って褒めてくれる。東京で注意されていたことがこっちでは褒められるんです」

「捨てる」と思っていたものと、実際に手に入れたもの――。

「手放すものはほとんどお金にまつわることでした。これまで積み上げたキャリアだったり、長く勤めれば役職も上がって収入も増えただろうし…」

「でも、人材領域の仕事って50歳くらいで廃れるよねと考えたんです。30代半ばの自分の人生のこの15年間にしがみついて苦しい思いをするんだったら、ここで家族で移住して子どもたちの残りの100年を幸せにした方がいいんじゃないかと」

移住後の、仕事はどうやって探したんだろう。

「人生の夏休みじゃないけど、せっかく移住するんだからキャリアリセットして、のんびり地場に移住してから仕事を探そうかなと思っていたんです。そんなとき、きら星・代表の伊藤と移住直前に話す機会があって、『三条に行ってから仕事ゆっくり探そうかな』と言ったら、『そんなら、うちで1年間やってみない?』と声をかけてもらったんです」

「三条はIターンで知り合いが一人もないわけです。のんびり仕事探すと言っても、遊びに行く友達もいないし飲みに行く友達もいない。だからコミュニティをつくりたくて、きら星に入ったというのが正直な経緯ですね」

働き始めてみると、東京で働いていた頃とは大きく異なる価値観に気づいたそう。

「めちゃくちゃ価値観変わりました。東京時代は内的動機で仕事ができてなかったんですよね。働く目的がボーナスの評価を上げることとか、役職を上げることとか。自分の外側にあったんです」

「移住後は2年間、お金に関しては気にしないと決めたんです。そうしたら働くのがすごく楽しくなって、今はやらされているという感覚が一切ない。やりたいから仕事をしている感じです」

そんな気持ちがあるなかで、なぜきら星で働くことに決めたんだろう。

「自分の仕事の軸って何だろうと思った時に、人の人生の転機に携わりたいという価値観があったんです。転職という大きな仕事、人生の狭間に介在したいと思っていたし、移住もそれと同じか、それ以上の大きな人生の決断だと思うんです」

「移住後に幸せになっていれば、感謝の言葉も言ってもらえる。人に与える喜びを持てたことが大きいですね」

きら星株式会社は、「地方移住をサポートしている会社」。

きら星が大切にしている価値観は「社会性と経済性の両輪」だ。

「移住支援をしている団体には、社会性に振り切っているNPOや一般社団法人もあれば、経済性だけに全振りしている会社もある。でも、社会性だけでは必ずしもサスティナブルではないんです」

「行政から仕事をもらうだけだと、予算が切れたらそこで終わり。会社として一本立ちして、地域に根ざした商売をすることも大事だと思っています」

特徴は、一気通貫で移住をサポートしていること。

SMOUTでの情報発信や記事制作、オンライン面談、オーダーメイド移住体験など、さまざまな形で移住検討者に寄り添います。

「ミッションとして一番大きいのは移住のサポートですが、同じくらい大事なのが定住してもらうこと。定住のためには仕事の安定も必要なので、自分たちのキャッシュポイントとして人材紹介も行っています」

「移住された後に『久田さんに手伝ってもらったから家族で幸せに暮らしています』とか『理想の暮らし方が叶いました』と言っていただけるのが、一番大きいですね」

「ただ、それは『移住してください!』というプッシュ型の仕事ではないと思うんです。良い点も悪い点も全部伝えた上で、決断はご自身でしてもらう。そうした移住者こそ、理想の暮らしを叶えられているように思います」

誰かの人生の転機に関わる。

これが移住コンシェルジュのやりがいなのかもしれない。

どのような人が移住コンシェルジュに向いているのだろう。

「人とコミュニケーションを取りながら協業することが好きな人には、合っている仕事だと思います。行政の方、移住検討者、地元の会社、農家さん、おじいちゃんなど、いろんな方と連携することが多いので。また、移住の悩みは100人100通り。自分の価値観を当てはめないで、まずは相手の話を理解しようとする努力も大切です」

ただ、久田さんの経験から伝えておきたいこともあるそう。

「東京で人間関係に疲れたから田舎に行きたいという方も多いですが、それは逆で。田舎の方が人と人のつながりは物理的には遠くても密なんです。そういったことも伝えた上で判断してもらうことが大事だと思っています」

「私は子どもとの時間をできるだけ長く作りたいので、4時までの時短勤務で働いています。子どもの送り迎えや夕食作りは全部僕の仕事です」

「ほかのメンバーも、本業の傍ら商工会の活動をしていたり、家庭教師をしていたり、カフェを経営していたり。自分の成し遂げたいことのために余暇の時間で活動している人が多いですね」

湯沢の本社と三条市。車で約1時間半の距離がある。

物理的な距離を感じないコミュニケーションもきら星の特徴です。

「コミュニケーションはすごくフランクです。代表も『社長』とは呼ばず、みんな『綾さん』と呼んでいます。毎週2回の朝ミーティングや、Slackでのやりとりをしながら仕事を進めています」

「年に1回の社員旅行があって、家族も一緒に参加することもあります。締めるところはしっかり締めるけれど、気軽に話せる環境です」

「『移住』という人生の大きな転機をサポートする。その決断の背中を押し、新しい暮らしの入り口に立つ人々に寄り添う——」

東京で培った経験と自らの移住体験。

移住者と三条市をつなぎ、サスティナブルな地域を生み出していく。そんな確かな手応えと意義を感じられる仕事なのかもしれない。

誰かの人生の転機に関わりたい。

そんな気持ちが芽生えた方は、ぜひ飛び込んでみてください。

※現在募集はしておりません。事業にご興味ある方はお問い合わせください。

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