「65歳になったら、函館に事務所を」 故郷への思いから始まった、売上1億円超の拠点づくり

「65歳までは一生懸命頑張って稼ぎます。その代わり、65歳を過ぎたら函館に事務所をつくってください」

58歳で転職を決めたとき、転職先の会社にそう話したのは、デジタル・インフォメーション・テクノロジー株式会社(以下、DIT)の執行役員で、函館分室の統括責任者を務める成田裕一さんです。

当初は65歳から始めるつもりだった函館での事業は、予定より3年早い2023年に動き出しました。開設から3年が経とうしている函館分室の売上は1億円を超えています(2026年9月現在)。

なぜ、成田さんは函館にこだわったのか。拠点を立ち上げるまでの経緯や、進出して初めて見えてきた函館の可能性と課題について聞きました。

最後のビジネス人生は、自分のやりたいことに使いたい

函館出身の成田さん。DITに転職する前は、ハウスメーカーに勤めていました。その会社で、若手を育成しながら定年まで働く道もありましたが、58歳のときに転職を決めます。

「最後のビジネス人生は、自分のやりたいことに使いたいと思ったんです」

やりたかったことの一つが、生まれ育った函館への恩返しでした。その理由を尋ねると、成田さんは「格好をつけた話ではないんです」と前置きして、こう続けました。

「自分の母親に、最後くらいは良いところを見せたいなと。函館で頑張って、地元の役に立っている姿を見せることが、一番の親孝行になるんじゃないかと思ったんです」

もう一つ、挑戦したかったのがAIの分野です。当時、AIへの関心が広がり始めるなかで、成田さんは自ら現場に立って新しい事業をつくりたいと考えていました。

函館には、公立はこだて未来大学と函館工業高等専門学校があり、情報科学を学ぶ学生や研究者と連携できる環境もあります。故郷に貢献したいという思いと、AIを軸に新しい事業を始めたいという考え。その2つを実現できる場所が、函館でした。

DITの面接で伝えたのが、「65歳になったら函館に事務所をつくってほしい」という条件です。難色を示されることも覚悟していましたが、当時の会長は笑いながら、「君がやるなら函館に事業所をつくってもいい。AIをやりたいという話も、これからのDITに合っている」と受け入れてくれたといいます。

市役所で思いを語り、計画が3年早く動き出す

65歳になってから、準備もないまま事務所をつくるわけにはいきません。成田さんはまず、函館でAI事業を手がけていた企業の社長に、面識のない状態からメールを送りました。

「65歳になったら函館でAIをやりたいと考えているのですが、協業できませんか」

その連絡をきっかけに会うことになり、社長から「一緒に函館市役所へ行って、思いを伝えてみないか」と声をかけられます。市役所で成田さんが函館の将来について語った時間は、およそ1時間。市の担当者から「ぜひ函館に来てほしい」と言われ、場所の確保をはじめとする準備が一気に進みました。

こうして、65歳から始める予定だった函館での事業は、62歳のときにスタートすることになりました。

最初に入居したのは、函館市が運営するインキュベーション施設「函館市産業支援センター」です。当初は2人での立ち上げでしたが、成田さんは市に「いずれは60人の体制にする」という構想を伝えていたため、10人以上が入れる広いブースを借りました。函館分室の始まりです。

施設を手頃な賃料で利用できたことに加え、手続きや情報提供でも市の細かな支援があったといいます。なかでも助けられたのが、地元企業との接点づくりでした。

「函館には知り合いがほとんどいませんでした。市役所の方が地元のIT企業を紹介し、交流する場までつくってくれたことで、立ち上げに必要なつながりができました。本当にお世話になりました」

地元企業と組んで、函館の開発体制を構築

函館分室は「高度ニアショアセンター」を目指しています。首都圏で受注した仕事をそのまま地方へ移すだけではなく、函館がAIやローコード開発を手がける拠点であることを明確にするためです。

「現在、売上の中心になっているのはローコード開発です。首都圏の大手企業から受注した案件を函館で開発し、納品する体制をつくってきました。さらに、医療分野のAI開発にも取り組み、函館を拠点に県外の病院とも仕事をしています。」

こうした開発体制をつくるうえで、 函館分室の開設時から大切にしてきたのが、「函館スクラム」という考え方です。

進出した企業1社だけで、すぐに多くの人を採用するのは難しい。そこでDITは、地元のIT企業とチームを組み、案件に取り組む方法を選びました。現在も地元企業に協力を依頼し、案件によっては10人ほどのチームをつくって開発を進めています。

「函館のIT企業は技術力が高く、ローコード開発にも柔軟に対応してくれました。基礎的な開発力を持つ企業が地域にいることは、進出する側にとって大きなメリットです」

拠点を設けたことで、東京の顧客から「函館の分室でAIに取り組んでいるなら、一度見学に行ってみたい」と関心を持ってもらえることがあるそうです。

「函館という街の知名度が、顧客との新しい会話を生むきっかけになり、思わぬ効果を実感しています」

こうしたビジネス面での効果に加え、函館に拠点を置くことは、働き方の選択肢を広げることにもつながっています。地方拠点というと、東京との距離が課題になりそうですが、成田さんは、東京との行き来にも大きな不便は感じていないといいます。

自宅のある大宮から新函館北斗までは北海道新幹線で移動し、車内を仕事の時間として活用しています。「Wi-Fiが途切れないので、「走るオフィス」として利用しています」と成田さん。

また、函館で働いても東京と同じ給与水準とすることが函館分室の方針です。実際に、横浜から転職して函館山の麓に家を建てた社員もいるそうです。

東京と同じ仕事をしながら、函館で暮らす選択ができる。そうした働き方も、魅力の一つだと成田さんは話します。

地域課題に向き合うインターンシップを実施

地元教育機関との連携も進めています。その一つが、学生に実際の顧客の課題に取り組んでもらう長期インターンシップです。

1回目は、トマト農家のために、収穫に適したトマトを判別するアプリを開発。学生自身が農家に話を聞き、求められている機能を考え、アプリを形にして納品するところまでを経験しました。

2回目の顧客は北斗市です。JR新函館北斗駅の売店への来店を増やすため、人の流れや動線のデータをAIで分析。学生が施策を考え、市長へ直接プレゼンテーションを行いました。3回目となる2026年は函館市から依頼を受け、地域課題を題材にした提案を進めています。

大学内で技術を学ぶだけでなく、顧客に話を聞き、課題を整理し、解決策を提案する。企業が間に入ることで、学生は実際の仕事に近い一連の流れを経験できます。

成田さんは、学生の起業支援や大学の研究者との共同プロジェクトにも意欲を見せています。まだ構想段階のものもありますが、大学と企業がそれぞれの強みを持ち寄り、地域のなかで新しい事業を生み出せる関係をつくろうとしています。

函館で試し、ほかの地域へ広げる

成田さんは函館を、開発拠点としてだけでなく、新しいサービスを試す場所としても考えています。

「函館には海も山もあり、農業も漁業も盛んです。観光地でもある。いろいろな産業がコンパクトに集まっていて、ビジネスを検証する場所として、とても魅力があります」

DITでは、函館や道南地域でサービスの実証を行い、同じ課題を持つ全国の地域へ広げる事業づくりを進めています。

その一例が、北斗市と行った下水管点検の実証です。パートナー企業が開発したカメラ付きの小型潜水艇を下水管内に流し、撮影した映像からAIが劣化箇所を診断する仕組みを試しました。現在は、全国の自治体への展開を進めています。

スマート農業の分野では、高価なドローンを個々の農家が所有するのではなく、必要なときに農薬散布を依頼できるサービスも検討しています。ITを使うこと自体を目的にするのではなく、使う人が技術を意識しなくても、地域の困りごとを解決できる仕組みにする。その考えは、医療AIをはじめとするほかの事業にも共通しています。

「地方の自治体は、私たちの思いを受け止め、実証を後押ししてくれます。このスピード感は、地方で事業に取り組む大きな魅力だと感じています」

函館で、一緒に事業をつくる企業と出会いたい

成田さんは、函館に進出する企業が増えることを、単なる競争の激化とは捉えていません。地域の企業や大学、行政とつながり、それぞれが持つ技術や知見を組み合わせることで、新しい価値を生み出せると考えています。

特に、地元企業と連携できるIT企業のほか、ソフトウェアのテストやコールセンターなど、地域で継続的な雇用を生み出せる事業には可能性があるといいます。実際に函館では、100人を超える若者を雇用しているテスト会社もあるそうです。

「人口が減っていくなかで、持続可能な地域をどうつくるかが問われています。ITは単なる技術ではなく、人を支えるサービスです。函館が抱える課題を解決するサービスを一緒に考え、ここで試し、全国へ広げていきたいと思っています」

成田さんは、函館でともに事業をつくる企業との出会いを求めています。

「函館を元気にしたいという思いを持つ企業の皆さんと、ぜひお会いしたいです。新しいビジネスの可能性について、一緒に話しましょう」

転職時に口にした「函館に事務所を」という言葉は、予定より3年早く実現しました。しかし、成田さんが目指しているのは、自社の拠点を大きくすることだけではありません。

企業が単独で拠点を構えるのではなく、地域の企業や大学、行政とつながりながら、函館で事業を育て、ほかの地域へ広げていく。DITの歩みと成田さんの活動は、函館への進出から生まれる可能性を具体的に示しています。

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