どん底の東京時代を支えた“地元の声” まこパーティー大牟田大使就任までの軌跡

「来週は柳川、直近だと久留米と下関もありますね。来月は千葉も行きます!常に移動してて、考えてみたら落ち着いて家にいることはあんまりないかもしれないですね」

そんな多忙さを感じさせない笑顔で話し始めてくださったのが、大牟田出身でタレントのまこパーティーさん(本名:古賀 真子さん)。

福岡を中心に活動しており、その内容はイベントMC、ものまねステージ、ラジオパーソナリティなど多岐にわたる。

今でこそ、全国を飛び回り活動をするが、タレントとして仕事が開けた感覚をもてたのは最近のことだと、これまでを振り返る。

手作りポスターを抱えて

物心ついたときから、芸能の道に進みたかった。

「倖田來未さんが大好きで、よく歌ってました。親戚の集まりがあると『私、ものまねやるから』とか言って、ものまね披露したり。とにかく、人前に立って歌ったりステージで何かを届けることがしたかったんですよね」

高校を卒業した18歳の頃、「Mako Yan」という名前で歌手活動を始めた。

手作りのポスターとCDを持って、大牟田を中心にお店を一軒一軒回る。

<当初は「Mako Yan」という名前で活動していた>

「『ポスターとCDを置かせてもらえませんか』ってお願いをしに行って、自分で作った近隣の飲食店リストに◯と×のチェックをつけていくんです」

断られることもあったが、多くの人が受け入れてくれたそう。

「『芸能人になるために、東京行くんです!!』って言ったら、大牟田の人たちは『おお、そうか。東京行くんか!頑張れ』って応援してくださって。それまで、大牟田の人に対して、強面の少し怖いイメージをもっていたんですけど、情に熱くて優しい人が多いことに気づきました」

当時のお店の方々とは、今でも関係が続いているそう。

24歳、退職金を握りしめて上京

そうした地道な活動をしながら、アルバイトをしていたアパレルのお店では、19歳で店長を任されるようになった。休みの日もアルバイトをして上京資金を貯めていたが、目標には程遠い貯金額だった。

転機が訪れたのは24歳のころ。

店長を務めていた熊本の店舗が、熊本地震の影響を受け、営業できない状況になり、出勤できない日が続いた。

昨日まで当たり前だった日常が、明日も続くとは限らない。

「芸能をやりたい気持ちで走ってきたこれまでを思い返していて、このままでいいのかなって。人生一度きりだし、自分のやりたいことに従って、すぐ動こうって思い直したんです」

思い立ったらすぐ行動。

退職金を握りしめて、東京へ向かった。

東京で迎えた「どん底」

上京してからは、ものまねショーレストラン「そっくり館キサラ」でアルバイトを始めた。

「バイトの制服が、ショートパンツにTシャツだったんですけど、ポニーテールで働いてたら、お客さんから『福原愛ちゃんに似てるね』って言われて。一回写真撮ってみたら、確かに似てて(笑)」

<実際のものまね写真>

まこパーティーさんのものまね芸の原点はここにあった。

そのほかにも、アーティストの倖田來未さんへの憧れから、エイベックスアーティストアカデミー東京校でダンス&ボーカルのレッスンを受講。

ここからイベントMCとして声がかかるようになったそう。

ものまね、イベントMCと少しずつ活動の幅が広がっていく東京生活は、聞いている限り順調にも聞こえる。

「養成所に通ったことで、芸能活動の厳しい現実を思い知ったんですよね。プロになるって、想像を絶する努力が必要なんです」

養成所で見た光景は、涙を流しながらレッスンに食らいつく子どもたちや、その環境下で育ってきた圧倒的な実力をもつアーティストたちだった。

「挫折っていうんですかね。プロってこういうことなんだって思い知らされました」

それでもがむしゃらに仕事に取り組み、合間ではアルバイト、という日々を送った。

家賃を払うのがやっとで、睡眠時間もほとんどなかったそう。

「いま振り返ると、精神的にも身体的にもギリギリというか、どん底でした」

つらい時に支え合った大牟田の人との絆

そんな東京時代、まこパーティーさんを支えたのは、大牟田から届く贈りものや手紙を通した応援の声だった。

まこパーティーさんが東京にいても、毎年MCに呼んでくれるイベントもあったそう。

「本当に苦しかったんですけど、なんで頑張れたかっていうと、ずっと大牟田からエールを送り続けてくれる人たちの存在があったからだと思ってます」

がむしゃらに働くなかで、テレビ出演も果たし、「これからだ」と思った矢先――コロナが訪れた。

「一切働けないし、貯金もない。でも、自分以上につらい状況にある飲食店の人たちが気になって。いつも応援してくれる大牟田の人たちのために、自分ができること、何かしないとって思ったんです」

東京と大牟田でつなぐインスタライブや、YouTubeで大牟田の飲食店を紹介し始めた。

「大牟田の人たちに恩返しがしたい気持ちは、強くなり続けてたんですよね」

微力だと落ち込む日があっても、快く送り出してくれた人たちへの恩返しがしたかった。

東京から福岡へ戻り、つながった点

コロナ禍の苦しい時期でも活動を止めず続けていると、知り合いのご縁から、福岡での物件レポーターの仕事が舞い込む。

これをきっかけに、福岡へ帰ることを決意。

福岡にいると知って声がかかることも多く、地元・大牟田を中心にイベントMC、ラジオのパーソナリティ、ステージ出演と活動の幅が一気に広がった。

 「帰ってきてから5年ほど経って、自分がやってきたことがどんどんつながっていく感覚があるんです。東京に行ったからこそ、大牟田への愛も一層強くなりました」

拠点が福岡になったことで、自身のYouTube内で大牟田の飲食店を紹介する活動にもより力をいれられるようになった。

大牟田内での仕事が増えたことにより認知も広がり、2026年1月には大牟田大使に就任。

<大牟田大使就任式の写真>

「実は、大牟田大使は目標の一つに置いていたんです。ここにくるまで、10年かかりました。ようやくスタート地点に立てたような気持ちです」

ありたい姿は、応援しがいのあるタレント

大牟田を盛り上げたい強い想いから、将来的には大牟田での事務所開業や、若手の育成、歌を通した高齢者の元気づくりをやっていきたいそう。

「将来やっていきたいことを叶えるには、名前を残さないと説得力がないと思ってるんです。だから、今はプレイヤーとして実績を積んでいきたいです」

芯のある声から、これまで多くの逆風を乗り越えてきた上で得られたであろう強さや覚悟、そして「まだまだやっていくぞ」という意気込みを感じる。

「私がタレントとして活躍することは大牟田を盛り上げることにつながるので。応援してくださっている人たちに、応援してよかったって思ってもらえる“応援しがいのあるタレント”でいたいですね」

取材後記

まこさんが大牟田について語るとき、大牟田の人の名前も一緒にでてきました。

ポスターをもって声をかけてまわった人、東京へ送り出してくれた人、東京に行ってからも声をかけ続けてくれた人――

 

“応援しがいのあるタレント”は、活躍の幅が広がっていくたび、自分のことのように嬉しくなっちゃうようなタレントなのだと思います。

まこさんのお話にでてきた大牟田の人たちにとって、「まこパーティー」という存在は、もうすでに十分“応援しがいのあるタレント”になっているんじゃないかーー

そんなことを感じながら、その輪が広がっていく未来を想像し、「まこパーティー」の今後がもっと楽しみになりました。

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